放歌高吟9月号 「婆娑羅」

0

    俳句マガジン『100年俳句計画』10月号がそろそろお手元に届く頃でしょうか。一ヶ月遅れの「放歌高吟」9月号です。


        婆娑羅

    怒声折りたたみてハンカチの白し
    炎天は鉄の削れてゆく匂い
    日傘巻き締むれば凶器めける黒
    あおられて日傘は風よりもひかる
    冷製若どり避暑地のサンドウィッチOH!
    フランスの船やパセリのほの苦し
    腕木式潮流信号雲の峰
    盆波や軍艦島の影くろぐろ
    海藻の婆娑羅と臭う盆の村
    鉄パイプ三百本を積む残暑
    秋蝉の胸の潰れて濡れにけり
    塩の名は「渦の花」とや厄日来る

     

     かれこれ二十年以上前の話になるが、当時開催していたサラリーマン句会「さのじの会」は、転勤族を中心とした句会だった。最初は私のマンションの部屋が会場だった。夜七時、自分のための飲み物と食べ物を提げた背広姿の男たちが、三々五々と集まってくる。仕事をなんとか切り上げ、会場までの電車の中でなんとか五句をヒネリ、男たちは意気揚々と乗り込んでくる。
     到着した者から勝手に飲み出すので、全員揃う頃にはかなり喧しい状態になっている。句会が始まると、ヤジと合いの手が飛び交う。爆笑に次ぐ議論で句会がちっとも前向いて進まない。結局のところ、毎回午前様になってしまうのが常だったが、月に一度のその句座は、次の一ヶ月を乗り切る活力の源でもあったように思う。
     メンバーが次第に増えていき、会場は市内中心部の飲み屋で行われるようになったが、「さのじの会」の雰囲気は全く変わらなかった。社会的地位の高い人たちが多かったようだが、句座は俳号だけの付き合い。清々しいことこの上ない句座であった。
     当時のメンバーが一気に転勤してしまう時期が来て「さのじの会」は自然消滅していったが、「東京俳句の穴〜通称ロマンチカ」という名の東京句会には、当時のメンバーが今も出入りしている。
     そんな「さのじの会」元メンバーの一人に、ひょんなことで再会した。松山市で行われる全国知事会に出席するため当地を訪れた長野県知事阿部守一氏。彼の俳号は、その名も「ガバナー」だ。
     「師匠が、この俳号付けてくれたおかげで、知事になっちゃったかな?!」と笑うガバナー氏。「えーアタシが付けたんやった?」と記憶をたぐるが、まあ、誰彼なく無責任な俳号を付けてきた過去の実績があるので「そうやったかな、あはは!」と笑ってごまかすしかない。
     「あの句座は実に放埒で、それが何より楽しかった」「まさに放埒、まさに婆娑羅な連中!」と互いに昔を懐かしむ。
     「婆娑羅(ばさら)」とは【遠慮なく、勝手に振る舞うこと。またはそのさま】をいうが、伝統・権威・常識に対して自由奔放に立ち向かいつつ、派手で喧しくて、でも風流を解する心は持っている…と説明すれば、そのニュアンスは想像して頂けるか。
     「あの婆娑羅な仲間たちとの再会を長野の地で目論まないか?!」という話で盛り上がる。いつか、必ず!という楽しみがまた一つ。
     


    放歌高吟 8月号

    0

      そろそろ皆さんのお手元に、月刊俳句マガジン『100年俳句計画』9月号が届く頃でしょうか。一ヶ月遅れの「放歌高吟」です。


      放歌高吟 8月号

          私信

      あをあをと余震の過ぐる蛍かな
      呼べば泣く山彦ならん蛍の夜
      へとへとと風鈴の舌湿りしよ
      その雨の夜の草笛語りかな
      木の椅子や髪を洗えば匂う星
      髪洗う静かに暮らすとはこんな
      短夜の星やフランスより私信
      大聖堂へ夏至の人波うごきけり
      果実甘し青き日除のリストランテ
      ドラムのない世界と薔薇のない明日
      痛点はひかり黒揚羽のかがやく
      木下闇とは口開けている無音

       

       例えば兼題「蛍」で俳句を作ろうとする時、「蛍」という季語の現場に立った夜の一コマ一コマが、驚くほどリアルに蘇ってくる。真っ暗な足元、河原の石の感触、湿気を含んだ暑さの名残、冷気を含んだ川の匂い。あの日確かに自分の躰が感じ取った五感の感触が、微細に再生されていく。
       俳句を続けていく上で、「躰が記憶する季語感覚」は大いなる財産にして、貴重な情報だ。今、目の前に「蛍」がいなくても、私たちは躰に刻んだ季語情報を再生させることで、想念の中に、生きた「蛍」を放つことができる。虚と実の世界に遊ぶとは、「躰が記憶する季語感覚」を豊富に有していてこそ可能な、究極の遊びだ。
       今日「しまなみ海道句会ライブツアー」という名の吟行会に出向いた。大島の宮窪港から観潮船に乗り、能島村上と呼ばれた水軍の根城・能島へ向かう。この島の頂上の平らな部分に海賊たちは海城を建てていたというのだが、こんな小さな島が本拠地?攻撃されたらひとたまりも無いよ!と思うほどの小ささ。あまりに無防備ではないか……と思ったのだが、なんのなんの、その海域に近づいていくと、複雑な潮流が激しく渦巻き、白波が猛り狂っている。潮の特徴や岩礁の位置を知らない船は木っ端微塵となるか流されてしまう、というガイドの説明に成る程と頷かざるを得ない、まさに自然の要塞というべき島であることが分かってくる。最速10ノットと言われる潮流の飛沫、舟底を突き上げる潮のうねり、エンジンを止めたとたん渦に巻き込まれていくスリルは、今日の吟行会に参加した誰もの躰に刻み込まれた貴重な季語感覚だ。
       「渦潮は春の季語ですが、今日の体験を夏として詠んでもいいんですか。」参加者の何人かからこんな質問を受けた。確かに「渦潮」は春の季語。他人がその一句を詠めば、春の句として鑑賞するに違いないが、「渦潮」が生き生きと表現できたなら、それもまた佳し。さらに、夏の「渦潮」として表現したければ(上級者の技ながら)季重なりの逸品として仕上げることも可能。
       季語から受け取る五感情報は、いわば季語からの私信だ。季語たちが、五感に語りかけてくれる言葉を躰に刻みながら、私たちは「私」という俳人を育てていく。「私」を豊かに育てるために、私たちは季語の現場を目指し、季語の現場に立つのだ。 


      放歌高吟 六月号

      0

        そろそろ七月号が発送される頃。一月遅れの「放歌高吟」六月号分お届けします。


        六月号

          立方体

        立夏という立方体の野のひかり
        風の村と呼ばれ桜の実のさかり
        河骨の咲けば水くすぐったくて
        百本のオールを薫風に運ぶ
        水門や芒種の太陽が痒い
        よく鳴りし草笛を水葬に付す
        給食は豆飯校訓は勤勉
        校舎より見ゆる泉の名を知らず
        ヘラクレスの手斧のごとき夏燕
        詩人への手紙に薔薇のことその他
        パレードの馬嘶くや聖五月
        そはレモンの花か青空香る日の妻よ


         NHK『俳句王国はゆく』の公開収録で長野県小諸市を訪れた。

         小諸なる古城のほとり
         雲白く遊子悲しむ

         『千曲川旅情の歌』の歌詞となった島崎藤村の作品にも詠まれている小諸は、高濱虚子が戦時中に疎開した地としても知られている。俳人として訪れたい地の一つが、小諸ではないかと思う。
         公開収録前日のロケや当日の愉快に満ちた会場の様子は、6月16日のオンエアーを観て下さい!というしかないが、実はワタクシ、小諸を訪れるにあたって心密かな企みを抱いていた。
         『俳句王国はゆく』は、俳句バトルを繰り広げる出演者の皆さんが主役であり、且つその町の魅力が主役となるべき番組なので、今回ワタクシが仰せつかった主宰なんて立場は置物の猫みたいなもの(笑)。吟行には同行するが、俳句を提出する必要もないロケは、申し訳ないほどの気楽さ。だからこそ、虚子の『小諸百句』にちなみ、己にも小諸百句というちょっとした負荷をかけてみるのも面白いなと思い立った。
         『小諸百句』とは、虚子が当地滞在中の句をまとめた作品。その虚子にあやかり、多作多捨のトレーニングを虚子ゆかりの地でやるなんぞは、さぞ気合いが入るに違いない!と思ったまでの試みなのだ。
         そんなこんなの意気揚々、いざ百句!とペンを握ると、雪をいただく日本アルプス、八ヶ岳の光景に目を奪われ、猛々しい浅間山の山容に息を飲み、しばし呆然。こりゃ、いかん……と己を奮い立たせつつ、ペンを握り直すこと幾度。八重桜が咲き、なんじゃもんじゃの花は細い蕾。鈴蘭は小さな花を揺らせ、風に翻る若葉は立方体のひかりを放つ、小諸。目に入ったものを次々に文字にしていく静かな興奮を楽しんだ。
         この原稿を書いている今日、小諸〜東京の旅からやっと松山に戻ったところで、まだ句帳の整理をしてない。が、百句かそれに近い句数は書きとめられたのではないかと思う。いつか私なりの句集シングル『小諸百句』が発表できる日が来るかもしれないが、そのためには別の季節の別の小諸を味わいに、彼の地に通わねばならぬ。人生の小さな夢がまた一つ。これもまた俳人的シアワセってやつなんだな、きっと。 


        放歌高吟 五月号

        0

          そろそろ皆様のお手元に俳句マガジン『100年俳句計画』6月号が届く頃でございましょうか。この6月で十年目に入りますワタシたちの活動。「俳句の種蒔き運動」へのますますのご支援をお願いいたしまして、5月号の「放歌高吟」転載致します。

            雲の巨人

          たんぽぽや雲の巨人の来る話
          土亀山(つちがめやま)笑う甲羅のあたりから
          真っ黒な犬に嗅がれている椿
          鉄条網美しさえずりの激しき日
          さえずりやみずみずしきは女の息
          シャガールの青を囀ることしきり
          世界は弧のれんぞく菜の花のだんぞく
          高原の雲かがやかす蜂の尻
          複眼の太陽に蝶くつがえる
          鱗粉を濡らして蝶のお弔い
          鳴いてすむことかと亀を叱りけり
          すかんぽのかりぽりすっぱくて泣ける


           松山市がこの春、自治体としては全国初の取り組みとなる俳句サイト『俳句ポスト365』を開設した。その選者を仰せつかってからの毎週水曜投句締切を軸としたルーチンワークも何とか軌道に乗ってきた。
           今のところ一週間に一度の更新となっているが、週五日更新への作業が進行中。さらにサイトに集う人たち同士が情報交換できる広場も作りたい、オフ会も企画したいとスタッフの思いは広がるばかり。日本中の、いや世界中の俳句愛好者が集う俳都は、私たち「100年俳句計画」が夢みる松山の未来予想図でもある。

          松山の息吹きと思ふ椿かな      酔う太
          行くあてのなき犬海は春めかん    理酔
          金縷梅や右ポケットに「春と修羅」  樫の木
          饅頭に人相のある日永かな      めろ
          春の月もぐらの罠の濡れてゐる    だりあ
          大阿蘇は凹んだ目当て鳥帰る    樫の木
          春愁の嚢ペリカンの嘴          めいおう星
          万愚節の雲獅子になり熊になり   甘えび
          揃えては白き芹の根水へ打つ     のり茶づけ
          頬白の来て大楠へご注進       すな恵

           十回の発表を終えた段階で、すでにこのような佳句の収穫。心嬉しいスタートを切った。さらに「俳句道場」と名づけた俳句講座には、兼題となる季語についての様々な情報が集まり、季語の本意を理解する上での有効な場となりつつある。毎週一季語に絞って本意を考察する「季語深耕」は、十年二十年後貴重なデータベースとなり得るに違いない。そんな未来を想像できる仕事は、文句なく楽しい。

          渋柿のごときものにては候へど      松根東洋城

           「俳句」とはいかなるものかという大正天皇の質問に答えての一句。言い得て妙な喩えだ。私ならどう答えるだろう。いろんな答えが想定できるだけに、かえって迷う。
           仮に、今日の気分で答えるとしたら、うん、そうだな、雲の巨人みたいなものだと答えるかもしれない。たんぽぽの野に寝転んで空を眺めれば、雲は次々に形を変えて駆けていく。あ、今の雲、巨人みたい! そんな小さな発見はいちいち他人に語るほどの話ではないが、俳句という十七音の器に盛ってみせるのは楽しい。役に立たない話も取るに足りない出来事も、俳句という魔法の粉をかけると、雲の巨人のように生き生きと動き出す。俳句という魔法の杖と共に歩く自分の未来が、楽しくないはずはないと思う、ある春日のささやかな感慨。


          放歌高吟 四月号

          1

          そろそろ皆様のお手元に、俳句マガジン『100年俳句計画』5月号が届く頃でしょうか。先月号の「放歌高吟」です。

          俳句集団『いつき組』とは何か? 俳句マガジン『100年俳句計画』との関係は如何に?との疑問を抱いている方がいらっしゃいましたら、是非ご一読下さい。あ、ついでに言うと、ワタクシ俳句集団『いつき組』組長と名乗っておりますが、俳句マガジン『100年俳句計画』代表と名乗ったことは一度もありませんので、そこんとこヨロシク〜♪(笑)


            放歌高吟 四月号

                我は闘う

            耳にきて耳に明るし若き蜂
            あさつきも妻も初々しき緑
            加湿器の湯気のきよらや猫柳
            雛の日のくすくす母のニベアの手
            梅香るなり青銅の馬の尻
            巡礼の杖に崩れて春の砂
            春田来る死んだ烏をぶら下げて
            麦踏の日を番犬の逃走す
            金色に咲きたき日ありいぬふぐり
            青鷺の春の胸こそいかめしき
            チーターの老いたる腹や春の星
            麗らかや我は闘うはカンガルー

            月刊俳句マガジン『いつき組』という名で創刊し『100年俳句計画』と名を改め再出発した本誌が、6月号で十年を迎える。
           その節目の号に先立って、本誌2月号「放歌高吟」の内容へ幾ばくかの反応やらご意見やらを頂いた。補足という意味も込めて今一度説明させて頂きたい。
           ワタクシは俳句集団『いつき組』組長を名乗っている。集団というからには入団資格や組員名簿がありそうなものだが、それらは一切無い。資格と呼ぶかどうかは定かではないが「俳句って楽しい!と思う人は、いつでも組員を名乗って下さい」と公言しているので、皆さん勝手に名乗って下さる。総合誌等の賞に応募する際も「所属いつき組」と堂々と書いて下さる方もある。それもまた佳し!だと思っている。
           が、普通の結社のように『いつき組』として発行する俳誌は今や無い。組員各位は、句会・ラジオやテレビの俳句番組・ネット俳壇への投句等を通して、組長を名乗る俳人と関わって下さるのみだ。
           喩えるならば、俳句集団『いつき組』組長とは、「デーモン閣下」という肩書きに近いもんじゃないかと思う。ウィキペディアに【西暦1999年までは悪魔教教祖として組織「聖飢魔II」によって悪魔教布教活動を行っていたが、その後「地球征服を完了した」として基本的にソロ活動を展開している】とあったが、彼の場合には「地球征服」という目的があり、私の場合は「俳句の種まき運動」という目的がある。彼には「信者」と称するファンや「手下」?がいるらしいが、私の場合は自ら「組員」を名乗り、俳句のある生活を楽しむ人たちがいる。うん、似とるやん♪と思う。
           確固たる意志を固め俳句マガジンから『いつき組』の名を消す決断には、それなりの葛藤があった。組員のためのマガジンではなく、『100年俳句計画』という志のためのマガジンとする決意。その意志を率直に伝え、共有するための次の十年こそが正念場だ。その第一歩として、月刊俳句マガジン『100年俳句計画』は6月号からさらなるリニューアルを断行する。若い仲間たちの力に期待したい。
           そして、当の組長は『100年俳句計画』のさらなる志を遂行するべくソロ執筆活動への離陸を虎視眈々と狙う。我は闘う日々を送る「俳句界のデーモン閣下」として、還暦あたりには新たなる雄叫びを上げたいものであるよ。 


          放歌高吟 3月号

          0

             そろそろ皆さんのお手元に月刊俳句マガジン『100年俳句計画』4月号が届く頃でしょうか。3月号の「放歌高吟」、ご笑納下さい。


            放歌高吟 3月号

                春へ春へ
             春ショールたたみ診察室2へと
             尿溜める袋に春寒の凝る
             流感や宇宙の色の水薬
             水菜しやりしやり息うつくしくいたしませう
             白魚におくれて水の笑ひけり
             白魚跳ねた地球自転をふと忘れた
             まだ笑はざる山脈がその奥に
             梅はみな青銅色に咲きたがる
             神と鳥のみ知る島の芽吹きかな
             幾万羽のブリキの海猫が発てる音

               「NHKラジオ第一放送『オトナの補習授業』終了
                シンガーソングライター 谷村奈南さんへ」
             春へ春へリズムの走り出す速度

               「俳優 勝村政信さんへ」
             言霊を従へ春のハムレット

             二年間続いた番組『オトナの補習授業』(NHKラジオ第一放送)の最終回は「俳句」。最初の一年は、声優古谷徹さん・シンガーソングライター熊木杏里ちゃんと、二年目は俳優勝村政信さんをナビゲーターとして、シンガーソングライター谷村奈南ちゃんと共に愉快な時間を過ごした。心に残る楽しい仕事であった。
             最後の収録のスタジオ。勝村さんが怪しい髭を生やしている。「なにそれ?」と尋ねると、今芝居をしているのだという。そう言われてみると、勝村さんの芝居にも、奈南ちゃんのコンサートにも行ったことがないなあと思う。偶々その夜のスケジュールが空いていたので、軽い気持ちで切り出す。「今夜の芝居、行けばすぐチケット買えるってわけにはいかんのよね?」すると、奈南ちゃんも言う。「私も観たい!」
             俳句オバサンの要望に動いたというよりは、奈南ちゃんの微笑に突き動かされたに違いないが、「ううーむ」と唸っていた勝村さん、無理してくれたんだなあ……追って「チケットなんとかなりました!」との電話が入る。おおおー、と喜び勇んで渋谷文化村シアターコクーンへ繰り出す。
             『祈りと怪物〜ウィルヴィルの三姉妹』の演出が蜷川幸雄さんだと知ったのは、劇場に貼ってあるポスターを見て。勝村さんがドン・ガラスという悪党爺の役であることを知ったのは、パンフレットを買ってから。突然の観劇吟行は、めくるめく興奮となって押し寄せてきた。

             蜂たちの合唱隊(コロス)うぉんうぉんコロス殺す
             神の木の芽吹きてことごとく金色
             粛清や冬のダチュラは歌わない
             荒星に剥き出されたる女の尻
             その青き髭や木枯色の襤褸

             四時間半の熱狂。頭の中を飛び回るナイフのような詩片。終演の興奮に魘される人波に押されつつ、私たちも歩き出した。「お兄さん、徒者ぢゃなかったね」と私。「はい、凄いです……私、もっともっともっとやらなきゃ」と呟く奈南ちゃん。
             最後の「木枯色」は、悪党ドン・ガラスに捧げる一句。表現という怪物と格闘し続ける凄みは、春へ春へと季節を動かす大きな力にも似ている。倦むことのない表現への切望。祈りのごとき感情。渦のような欲求に、脳髄がじんじんと悦ぶ。 


            放歌高吟 2月号

            1

            皆さんのお手元に、俳句マガジン『100年俳句計画』3月号届く頃かと思います。2月号の「放歌高吟」を転載しておきます。・・・あ、今日が発送だそうです。近々届きますんで、3月号お楽しみ下さい。

            放歌高吟

                      頭突き

              最前列にまたあの冬帽が来ている
              木枯や指名手配の名は龍輝(ロンホイ)
              チルドレンの綴りと鷹の書き順と
              太陽の笑う絵皿やペーチカ燃ゆ
              狂う日程ブロッコリ固い
              白菜に頭突きをしたきほどの快哉
              皇帝ダリアくらくら白銀の太陽
              泣き兎なかせて雨のぎんいろに
              兎飼う男と星を読む女
              冬帽のラメの高慢ちきな色
              身の骨の鳴れり木枯かがやけり
              咳き込めば胸の鱗のざらざらす


             日本俳句教育研究会(略称nhkk)第5回研究発表大会は、去る1月12日、松山市道後子規記念博物館にて開催された。大会終了後のnhkkホームページに、参加者のこんな書き込みを見つけた。

             遠路はるばる来て、見事な発表をしてくれた家串小の4人組に超感動しました。聞く・話す、読む、書く、興味関心態度、全てにAの力を持った頼もしい4人でした。態度や表情が凛々しくて、彼らに会えて、元気をもらいました。4人それぞれに違う色があり、あんな大舞台でも、気負わず、自分らしく発表する姿。老化現象か最近涙腺が緩くなり、彼らの発表を聞きながら、不覚にもうるうるしてしまいました。

             家串小だけでなく、今年の研究発表はどれも素晴らしかった。子どもたちが俳句というツールによってここまで変容し、豊かな心と言葉を獲得するのだという実践の数々に、胸が熱くなった。頭が下がった。
             日本俳句教育研究会の活動は「俳句の種まき運動」の柱の一つだが、本誌が取り組む百年俳句計画は、次の二点に要約することができる。

             ’亢腓里△訖誉犬遼かさを伝え、俳句のある人生を楽しむための提案。
            ◆”看後の未来の言葉と心を育むための俳句教育研究。

             世間には未だに本誌を俳句集団『いつき組』の結社誌だと考え違いしている人が多い。改めて言わせてもらうと『いつき組』はこれといった冊子を発行していない。が、俳句集団として組員誰もが明るく豊かに志高く、俳句修行を楽しんでいる。ある人はラジオ番組への投句を勉強とし、ある人はネット句会の切磋琢磨に身を投じる。いずれかの結社で師弟関係を結びつつ本誌の集いを楽しむ人もいれば、ここを本拠地として学びつつ百年俳句計画の担い手となってくれる人もいる。皆、,△襪い廊△了屬忙親韻靴討れる頼もしい句友たちだ。
             確かに結社誌でも同人誌でも総合誌でもない本誌の存在は特異だ。理解しにくい気持ちも分かる。が、もうそろそろ世間様も既成概念で分類する旧弊な考えを捨ててくれても良い頃ではないか。百年俳句計画の志を直球で受け止めようとしない勘繰りに、頭突きをかましてくれないものか。
             取り組む「俳句の種まき運動」の先に、家串小のような子どもたちが育つ未来があることを確信した今、私たちはますます胸を張って志を掲げたい。「自分のためだけの俳句」ではない俳句の未来を考える俳人が一人でも増えることを願い、百年俳句計画の旗を洋々と掲げてゆきたい。 


            放歌高吟 2013年1月号

            0

              そろそろお手元に俳句マガジン『100年俳句計画』2月号が届くころでしょうか。ならば、1月号の放歌高吟、そろそろ転載してもエエ頃かな。以下、作品12句+エッセイです。


                   宝船

              不眠症の猫に一枚宝船
              宝船の波のいささか高かりき
              あらたまや放水銃のぴっかぴか
              お飾りの吹かれて羊歯の乾きよう
              母刀自のいよよ猿めくお元日
              おみくじの花咲け花さけお元日
              弥栄(いやさか)や蔵に巨大な嫁が君
              初夢の怒りは紅の紐か
              真っ白な兎の耳にある淑気
              あらたまのヨーヨーあがるさがるさがる
              学校正門お飾りの蜜柑が取れてる
              書初のこれはイタリア語であるか



               新しい年の一月号をお届けする。
               迎える2013年は、マガジン創刊十周年。「もう十年を迎えたか」との感慨に浸る……というよりは、「100年俳句計画の十年がすでに費やされたか」という事実にささやかな驚きを覚える。さらに修正すべきあれこれ、展開したいあれこれを列挙すれば暇がないが、ひとまずは十年を共に歩いてくれた組員句友の皆に感謝し、この十年の成果を言祝ぎたいと思う。

               長年の細い句縁が続いている俳号志賀内サラリーマン氏から、今年も宝船の絵が届いた。白地に赤で描かれた宝船には、七福神やら金銀財宝やら米俵やらが賑やかに積まれている。帆には大きな「宝」の一字、「ながきよのとおのねふりのみなめざめなみのりふねのおとのよきかな」というお決まりの回文和歌も墨痕黒々と書き記されている。
               宝船の絵に添えて、もう一枚解説書が付いているのは、「宝船」がすでに絶滅寸前季語である所以か。「由来について」「絵に添えられている和歌について」という解説項目の他に、「ご利用方法について」ってのがあるのは、サラ金の注意事項みたいでちょっと笑える。「元旦の夜、もしくは二日の夜に、この絵を枕の下にそっと敷いて眠りについて下さい」とのご利用解説もほのぼのと可笑しい。
               七福神は文字通り、神仏の「神」である……かというと、ちと違う。『絶滅寸前季語辞典』を書く時に調べたことがあるのだが、お馴染み布袋さんは中国の仏教で、福禄寿・寿老人は道教。エビス顔の恵比寿さんは日本土着の信仰にして、大黒・毘沙門・弁才はインドのヒンドゥー教。といいつつ、大黒さまなんぞは【シヴァ神の化身マハーカーラ神と日本古来の大国主命の習合】だというのだから、もう何でもかんでも御利益ありそうなものをてんこ盛りしてみた!のが七福神だと思うしかない。が、それもそれで微笑ましい目出度さだ。
               インドも中国も日本もなく、神様たちは笑顔で一つの船に乗り合わせ、私たちに佳い初夢を下さる。国家も社会も家族も人も、さまざまな困難を抱えたまま迎えた2013年だが、私たち俳人の強みは、それもこれも全てを五七五に詠い、おおらかに笑い飛ばし、不屈の心で歩き出せることだ。宝船を囲む波はいささか高いが、マガジン創刊十周年なるあらたまの船出を、共に言祝ぎたい新年である。


              放歌高吟〜2012年12月号掲載分

              0
                今、ハッと思い出したんだけど、月刊俳句マガジン『100年俳句計画』 の新しい号がでたタイミングで、前号の「放歌高吟」をブログに載せようと思ってたのに、もう忘れていたよ。思い立ったが吉日!なのに、その時の原稿探すけど出てこないよお。辛うじてエッセイなしの作品12句は発見したので、ひとまずそれだけ転載。さすがに、エッセイを入力し直す余力はないよ〜(苦笑)。

                12月号の作品、ちと気色悪いので、こんな一枚をそえてのご提供です(笑)。あ、これはこれでなんとなく気色悪い写真になってしまったか?? 写真撮るの下手くそやな、我ながら。


                放歌高吟 12月号

                        蒲団

                ゴムボートぶよぶよ初冬臭き湾
                百の口さらして冬の蛸壺は
                鴨の目のほそし日暮は紫煙色
                歌詞おもいだせずマフラーぐるぐる巻く
                首に鍵みみに木枯一号か
                蟷螂の枯色に海猛りだす
                むらさきにしぐれて断崖の垂直
                蜜柑山の裏兵隊の墓ばかり
                冬の松ぼっくり空とは真っ青な死地か
                情死せる蒲団第三展示室
                綿臭き蒲団軍馬のごと重し
                ミイラ包むようなこんな蒲団に寝よというか

                俳句マガジン『100年俳句計画』12月号 発送!

                0

                  ふと思いつきました。マガジン発送の日に、前月号の「放歌高吟」をブログに載せようかな、と。来月はすっかり忘れているかもしれないが、ま、それはそれで(笑)。

                  12月号は近々お手元に届くと思います。万が一、今月中に届かない方がありましたら、編集室までご連絡下さい。


                  放歌高吟 11月号

                      水澄む国

                  青とはこれか華北の水の澄みにけり
                  桃売が来て婚礼のことをいう
                  ことことと荷車ことことと秋雲
                  シタールを抱く人梨を運ぶ人
                  あの暗い家の匂いのする石榴
                  灰色の鳥の数千秋の暮
                  無月いま風の器として故郷
                  有事の夜鶏頭は耳ひからせる
                  議事堂という秋灯の聳えけり
                  モニカさんの国の石榴と戦争と
                  泪色の野菊に触るることなかれ
                  ことごとく水澄む国の民として

                   9月28日付朝日新聞の一面に載っていた村上春樹さんの文章「魂の行き来する道筋」を読んで、唸った。
                   東アジアの国々に起こっている領土をめぐる問題が文化交流に様々な影響を及ぼしていることに心を痛めた村上さんは、その種の問題が国民感情の領域に踏み込む危険性を指摘。その荒々しく排他的な感情を「安酒の酔いに似ている」と表現する。
                   「安酒の酔いはいつか覚める。しかし魂が行き来する道筋を塞いでしまってはならない。その道筋を作るために、多くの人々が長い歳月をかけ、血の滲むような努力を重ねてきたのだ。そしてそれはこれからも、何があろうと維持し続けなくてはならない大事な道筋なのだ」
                   東日本大震災が起こった時も、竹島や尖閣諸島の領土問題に揺れる今も、心を覆う不安と不穏の感情に捕らわれ、何か表現しないではいられない衝動に駆られてきた。震災直後の「放歌高吟」には、私の吐き出さないではいられない思いが、虚の世界を彷徨ってきたかのような句として綴られている。それら一句一句が言葉として結球する過程は、救いと祈りの時間でもある。
                   震災直後から様々な俳句誌において、災害に遭っていない人間が震災を詠むことの是非を問う特集が組まれたが「詠んでもよい詠むのはけしからん」的議論には違和感を持つ。どんな立場の人間であろうが、あの未曾有の震災を前に心がおののかない人はいないし、反日デモの目を覆わんばかりの暴力に動揺を感じない人はいない。
                   なぜ、私達は俳句を作るのか。それは自分の心を表現することで、波立ち止まぬ悲しみや不安をなだめ、ほのかな喜びを確かめ、他者とその感情を共有することで、心がゆっくりと救われていくからだと思う。
                   ならば、生きて在る心に映る様々な不安や不穏を十七音詩として詠むことに躊躇する必要はない。心を吐くことが目的であるのだから、上手下手を気にすることもない。偶々それが人の心を打つ一句となっていれば、作品は作品として自ら歩き出す。戦争前夜かもしれぬ不安や、今なお心に残る傷を、私達は純白の繭を吐くように詠んでいけばいい。
                   ただ、表現者の一人として「魂の行き来する道筋」については心していよう。村上さんのいう「安酒の酔い」の如き感情を心に育てない私でいよう。水澄む国の一人として、美しい旗を掲げていこう。


                  << | 2/2PAGES |

                  ★当ブログの文章や画像等の内容の、無断での転載・二次使用を禁止します。

                  俳句新聞いつき組
                  ↑購読のご案内・発行状況のお知らせなどはこちら!

                  【夏井いつき最新刊】

                  季語と名句を毎日鑑賞!
                  夏井いつきによる
                  俳句上達のポイント満載!

                  2017年版
                  夏井いつきの
                  365日季語手帖


                  【夏井いつき近著】

                  links

                  日本俳句教育研究会
                  俳句甲子園
                  俳句の街 まつやま 俳句ポスト365
                  えひめ おひるのたまご
                  朧庵

                  calendar

                  S M T W T F S
                       12
                  3456789
                  10111213141516
                  17181920212223
                  24252627282930
                  << September 2017 >>

                  selected entries

                  categories

                  archives

                  recent comment

                  profile

                  search this site.

                  others

                  mobile

                  qrcode

                  powered

                  無料ブログ作成サービス JUGEM