「鰭酒」についての私的考察
夫と二人でこっそりと行く飲み屋がある。家族みんなを連れて行くと高くつくから、こっそり二人で行く。この間もこっそり行った。小さめの生ビールを飲み干して、「ぼくは芋焼酎の湯割にします」という夫に逆らい、「わたしゃ鰭酒」と自我を通す。むへへへと笑ってるうちに、焼酎のお湯割はすぐにくる。鰭酒は時間がかかる。夫の焼酎を一口二口横取りしつつ、鰭酒がくるまでの時間を楽しむ。
歳時記には「鰭酒」についてこう解説してある。【河豚の鰭を焦がす程度に炙り、湯呑みに入れ、熱燗をそそぐ。三分ほど蓋をして、その後マッチの火でアルコール分を燃やして飲む。その青い炎も俳人の心をくすぐる。】
が、ワタクシは「アルコール分を燃やしてから飲む」 なんぞという愚行はしない。酒を飲もうとしているのに、なぜわざわざアルコール分を燃やさねばならぬのか、とんと納得がいかない。「生臭さがなくなりますよ」と親切に意見してくれる女将もいるが、生臭くて結構、焦げ臭くて結構、それでこそ「鰭酒」ではないか。気の利いたお運びさんが、マッチを擦ろうとするとすぐに「結構です」と断る。おもむろに蓋をとり、湯呑みの中でゆらゆらする鰭の焦げた匂いを嗅ぎつつ、鼻の奥につつつつつ〜んとくる熱いアルコールの匂いを存分に嗅ぎつつ、ちゅんと最初の一口をすする。喉から鼻へ、鼻から目へ、つつつつつ〜んと美味さが広がる。
これだけの確固たるポリシーがあるにも関わらず、この間の夜、ちょっとした出来心でマッチを擦ってみようと思い立った。マッチを手にとる私を見ながら、夫が「火をつけるんですか」と訝しげに問う。「アルコールを飛ばすというのが歳時記の見解ならば、実はそこに何らかの季語的真実があるのかもしれないと、ふっと思った。俳人心をくすぐる青い炎も時には見たいしね」と、マッチ箱から一本マッチを取り出す。ちょっとワクワクする。どうせなら盛大に火がついたらエエなと思う。まだ訝しげな夫に、まあ見てなさいと目配せをして、マッチを擦り、火を蓋に近づける。左手で蓋をさっと開ける!
ぼぼぼぼぼーと青い火が手元に押し寄せてきた。左手にもった蓋の内側にも青い火がついて、あっちちちちち!と蓋を投げ出す。左手に注意が集中したものだから、右手にもっていたマッチ棒の火が指を焼きだす。こっちもあっつつつつ!と放すと、カウンターの上で燃え出す。あきれ果てた夫が、冷静にお手拭をかぶせて火を消し、転がった蓋を回収し「割れなくてよかったです」と言う。両方の人差し指がズキンズキンと赤く痛む。
すっかり意気消沈して、歳時記の解説どおりの季語的真実を背負った「鰭酒」に口をつける。つーんとも、きーんともしない。たしかにこれを「まろやか」とか「やわらかくなる」とか「生臭さがなくなる」とか、そういう評価でまとめることはできるに違いないが、これはワタシの欲する「鰭酒」ではない! すっかりガックリした私に夫が言う。「鰭酒の季語的真実の青い炎が見られたから、よかったじゃないですか」 確かに、盛大に火がついたのは望みどおりだったが、淋しい真実だと思う。
決心した。今後一生、己の「鰭酒」には絶対火をつけない!
同席している人間に「鰭酒」を勧め、「俳人はやっぱり季語的真実を体験しないとね」とそそのかし、他人の鰭酒にて季語的真実の青い炎を観察し、己の鰭酒にて究極の美味さを体験する。失敗という名のデータを分析した上での、ワタクシ的「鰭酒」についての考察と決意である。
そして、今夜は道後ぶんぶく句会。道後の飲み屋「おいでんか」にて飲みながらの句会だ。もちろん鰭酒がある。ああ、楽しみだ〜
歳時記には「鰭酒」についてこう解説してある。【河豚の鰭を焦がす程度に炙り、湯呑みに入れ、熱燗をそそぐ。三分ほど蓋をして、その後マッチの火でアルコール分を燃やして飲む。その青い炎も俳人の心をくすぐる。】
が、ワタクシは「アルコール分を燃やしてから飲む」 なんぞという愚行はしない。酒を飲もうとしているのに、なぜわざわざアルコール分を燃やさねばならぬのか、とんと納得がいかない。「生臭さがなくなりますよ」と親切に意見してくれる女将もいるが、生臭くて結構、焦げ臭くて結構、それでこそ「鰭酒」ではないか。気の利いたお運びさんが、マッチを擦ろうとするとすぐに「結構です」と断る。おもむろに蓋をとり、湯呑みの中でゆらゆらする鰭の焦げた匂いを嗅ぎつつ、鼻の奥につつつつつ〜んとくる熱いアルコールの匂いを存分に嗅ぎつつ、ちゅんと最初の一口をすする。喉から鼻へ、鼻から目へ、つつつつつ〜んと美味さが広がる。
これだけの確固たるポリシーがあるにも関わらず、この間の夜、ちょっとした出来心でマッチを擦ってみようと思い立った。マッチを手にとる私を見ながら、夫が「火をつけるんですか」と訝しげに問う。「アルコールを飛ばすというのが歳時記の見解ならば、実はそこに何らかの季語的真実があるのかもしれないと、ふっと思った。俳人心をくすぐる青い炎も時には見たいしね」と、マッチ箱から一本マッチを取り出す。ちょっとワクワクする。どうせなら盛大に火がついたらエエなと思う。まだ訝しげな夫に、まあ見てなさいと目配せをして、マッチを擦り、火を蓋に近づける。左手で蓋をさっと開ける!
ぼぼぼぼぼーと青い火が手元に押し寄せてきた。左手にもった蓋の内側にも青い火がついて、あっちちちちち!と蓋を投げ出す。左手に注意が集中したものだから、右手にもっていたマッチ棒の火が指を焼きだす。こっちもあっつつつつ!と放すと、カウンターの上で燃え出す。あきれ果てた夫が、冷静にお手拭をかぶせて火を消し、転がった蓋を回収し「割れなくてよかったです」と言う。両方の人差し指がズキンズキンと赤く痛む。
すっかり意気消沈して、歳時記の解説どおりの季語的真実を背負った「鰭酒」に口をつける。つーんとも、きーんともしない。たしかにこれを「まろやか」とか「やわらかくなる」とか「生臭さがなくなる」とか、そういう評価でまとめることはできるに違いないが、これはワタシの欲する「鰭酒」ではない! すっかりガックリした私に夫が言う。「鰭酒の季語的真実の青い炎が見られたから、よかったじゃないですか」 確かに、盛大に火がついたのは望みどおりだったが、淋しい真実だと思う。
決心した。今後一生、己の「鰭酒」には絶対火をつけない!
同席している人間に「鰭酒」を勧め、「俳人はやっぱり季語的真実を体験しないとね」とそそのかし、他人の鰭酒にて季語的真実の青い炎を観察し、己の鰭酒にて究極の美味さを体験する。失敗という名のデータを分析した上での、ワタクシ的「鰭酒」についての考察と決意である。
そして、今夜は道後ぶんぶく句会。道後の飲み屋「おいでんか」にて飲みながらの句会だ。もちろん鰭酒がある。ああ、楽しみだ〜
- 2012.01.13 Friday
- スパイシーな日常
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- by 夏井いつき