女将のペンダント

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    じゃあ、リクエストにお答えして、ワタクシが聞きかじっている「平成浮世風呂」第三話。

    露天風呂が婆さん天国となるのは、温泉の始まる朝の六時〜八時の約二時間。八時半を過ぎる頃から、ぽつぽつと歩行浴を楽しむオバサンたちが増えてくるが、婆さん天国のこの二時間はほぼ常連の顔ぶれとなる。婆さんのゴールデンアワーに、一人だけ異色な女性が時たま顔を見せる。
    ワタシは勝手にこの人のことを「女将」と名付けた。長い髪をクルクルと巻き上げているうなじのあたりの色っぽさ、歳を感じさせないスリムな体型、ちょっと知的な匂いがしないでもない手慣れた人あしらい。いかにも、小料理屋のキリリと愛想良い女将さんといった感じなのだ。

    あれはいつだったか、早朝のだだっぴろい露天風呂にいるのが、女将とワタシとたった二人っきりだった日のことだ。温泉にいる時は、自分の方から入浴客に話し掛けることは滅多にしないワタシなのだが、あの日は婆さんたちが一人もいないことを不思議に思ってたので、ふっと女将に話し掛けてしまった。
    「今日は、常連のお婆ちゃんたちおらんですね」
    女将が、ふふって笑って教えてくれた。「今日はね、この地区のお年寄りたちは旅行に行っとるんですよ」

    彼女の話しによると、老人会の年に一度の日帰り旅行で金比羅さんに出掛けているらしい。
    「婆ちゃんたち、バスの中で賑やかにやってんでしょうね〜」「バスは出発したばかりやけど、もうカラオケ始めとるんでしょうね」と、女将はくすくす笑いながら問い返してきた。「いっつもここに来とる婆ちゃんたちと、お親しいんですか」「いいえ〜、ワタシはたまたま同じ時間に風呂に来るだけなんやけど、聞くともなしに聞こえてくる婆ちゃんらの話が面白いもんやから、勝手に親しみを覚えとるだけなんですよ」

    もともと話好きらしい彼女が「実はねえ」と切り出した話を、ワタシは、源泉掛け流しの湯舟に浸かったまま拝聴することになった。それは、婆ちゃんたちの心温まる武勇伝であった。

    「実はねえ、あの元気な婆ちゃんらは、私の恩人なんです」「恩人?」「オーム真理教の事件が起こった頃のことやったんですが…」「オーム真理教?」

    彼女は、この近くで店を開いているのだという。そうか、やっぱり小料理屋に違いないと、尋ねてみる。「なんのお店ですか?」「うどんとコーヒーの店です」「うどんと…コーヒーですか」 ちょっとその取り合わせは、ビミョーやろ…と思いつつも、女将の話に耳を傾ける。

    「私なりに多少の苦労もしながら、やっとこの土地に店を構えたもんやから、軌道に乗るのかどうか、ほんと心配しながらの開店やったんです。けど、はじめてみたら、案ずるよりナントカっていうやつで、お客さんもすぐについてくれて順調に商売しよったんです。それが、なんでかある数日を境にパッタリ客足が減って、気がついたら常連さんも来てくれんなって、もう何がダメなんか分からんまま、困り果てましてねえ…」「一体何が原因やったんですか?」「それがアナタ、どこの誰がなんの恨みがあって流した噂なんかはいまだに分からんのですが、うちの店はオーム真理教が経営しよるって噂が立っとったんです。それが回りまわって耳に入ってきた時は、吃驚仰天ですワ」

    タチの悪いイタズラか、誰かの思惑であったのか、この噂のせいで女将の店は倒産ギリギリのところまで追い込まれたんだそうな。しばらくは店の心配ばかりが募って朝風呂に入ろうなんて考える気にもならなかったらしいが、いざとなれば店を畳むだけだと腹を括って、ある朝久しぶりに温泉にきたらしい。
    それまで、この温泉の常連である婆ちゃんたちと親しく話したことはなかったんだそうだが、この女将のことだから感じの良い挨拶や会釈は交わしていたに違いない。

    「ある日、おテルさんが…あ、わかりますか?あの元気なお婆ちゃん」「あ、ハイ。皆がおテルちゃんて呼んでる、小柄なお婆ちゃん」「そう、あのおテルさんが、脱衣場のロッカーのところで、あのぉ…って声を掛けてくれて、私が首に掛けとったペンダントを指さすんです」「ペンダント?」「はい、私は全く信仰心の無い人間なんですが(苦笑)、生まれた時に洗礼だけは受けさせられて、その十字架のペンダントは母の形見やったもんですから、信仰とは関係なしに形見として首にかけとったんです」「ふーん…」

    おテルちゃんは、女将のペンダントを指さして「あんたは、キリシタンさんなんか?」と尋ねたのだそうな。女将は、おテルちゃんの真意が分からないまま、漠然とその質問を肯定したらしい。

    「ハルさんは分かりますか?」「ハルさん?…その人は知りません」「おテルさんといつも一緒に来とる大きな婆ちゃんなんやけど」「え!…ほうかや婆さんですか?」
    女将は一瞬、ハッ?という顔をしたが、すぐさま笑いだした。「そうや、そうや、ハルさんは、『ほうかや』しか言わんですね(爆笑)」「すんません、婆ちゃんたちに、あだ名つけまくってます。それにしても、ほうかや婆さんってハルさんっていうんですか…異様に似合いませんね」と言ったら、女将が腹をかかえて笑い出した。

    女将のペンダントのことを、おテルちゃんは早速、ほうかや婆さんにしゃべったらしい。あの人は「キリシタンさん」や、と。ほうかや婆さんは、普段は起きてるのか寝てるのか分からない感じで、正直言うとワタシはちょっと認知症入ってる婆ちゃんかな…ぐらいに思ってたもんだから、この後の女将の話に、ぶっ飛んだ!

    「露天風呂に入ったら、湯舟の向こう側に浸かっとったハルさんが、のっしりやってきて『あんた、キリシタンさんやったら、オーム真理教ちゃうんやろがな』って、いきなり話し掛けてくれて」「えっ、ほうかや婆さん、そんな長いセンテンスしゃべれるんですかッ?」「ハルさんは正義感の篤い人で、ウチの店のことも気にしてくれとったみたいなんです」「お店の常連さんやったんですか?」「いえ、店には一度も。でも、オームの噂のせいで、ウチの店が潰れるんやないかという噂が立っとることも知っとったらしいんです」「ふーん…」

    そこから婆ちゃんたちの底力が動き始めたというのだから、驚いた。
    ほうかや婆さんは、おテルちゃんに女将の十字架のペンダントの話をあっちこっちで吹聴させたらしい。そして、自らも、おテルちゃんと一緒に好きでもない「コーヒー」の店に出掛け、「うどん」だけを食べて帰ることを、しばらく続けてくれたらしい。婆ちゃんたちの、情報網は凄まじかったそうな。「オームの噂」を流した犯人探しも、しばらくは喧しい噂になったそうだが、何とかの噂も七十五日というヤツで、少しずつ常連客たちが店に戻ってきて、女将の店は徐々に持ち直してきたのだそうな。

    「すごい話やな、それ」「おかげさんで、なんとか今も店続けていけよるんです」「ほうかや婆さんたちは、今も、うどん食べに来てくれよるんですか?」「それが(笑)、うどんは飽きたそうで」「ははは!可笑しい救世主やな」「うどんは飽きたそうなんやけど、コーヒーの味を覚えてくれて、週に何度かは午後のお茶しに来てくれよります(笑)」

    そ、そうか…ほうかや婆さん、正義の味方やったんか。
    カッコエエやんか、ほうかや婆さん! 
    「ほうかや」だけの、ほうかや婆さんやなかったんや!
    んで、婆さん…ハルさんって名前やったんか。せっかく可愛い本名を覚えたのに、ワタシの脳味噌だけが、これを受け付けようとしない武勇伝の顛末。

    コメント
    なるほど、「ハルさんやったんか〜」、それにしても女の人の話しばっかやなあ! と思ったら、女風呂やもんなあ。

     つづきを切望←しつこくてすんません
    • しんじゅ
    • 2009/03/12 8:32 AM
    同じく切望←便乗してすんません
    • 木琴
    • 2009/03/12 10:17 PM
    コメントする








       

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