平成浮世風呂 第五話

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    ■第五話 おっぱいシスターズの涙■

    まゆみちゃんとますみちゃん、
    なんで双子ってのは、こんな分かりやすいセット名前になるんだろう。が、だからといって、リカちゃんとトミコちゃん・・なんて付けるのも、なにやら不都合であろうことは想像に難くない。

    まゆみちゃんとますみちゃん、
    どんな字を書くのかは知らないが、この二人は一度会ったらちょっとやそっとでは忘れられない肉体の持ち主だ。年齢は三十代後半か四十に手がとどいたかどうか、まだまだ衰えていない肌の艶がまぶしい二人。双子だから顔は瓜二つってやつだが、露天風呂で会う時は間違いなく区別がつけられる。まゆみちゃんは普通に真っ裸で入ってくるが、ますみちゃんは風呂の中でも眼鏡をかけている。そのせいかどうかは分からないが、ますみちゃんはサウナには入らない。まゆみちゃんがサウナで過ごす以外の時間、二人は常に一緒に行動する。源泉掛け流しの湯に浸る時も、洗い場に移動する時も、ジェットバスに入る時も、歩行湯で歩く時もいつも一緒だ。

    この二人、何が凄いって、おっぱいが凄い。
    ぐりんぐりんの巨大なお椀を伏せたような見事なおっぱい。誰だっておっぱいってやつは左右微妙に大きさが違ってたりするものだが、この二人は左右同じ大きさのお碗おつぱいがりんりんと真正面をむいている。女の私が見ても、お見事!という代物だが、それが二人×二個=四個が、常に並んで動いていく光景ってのはなかなかに見ものだ。さらに、この二人が凄いのは、その下半身。次第に姫達磨みたいに太くなっていく腰の安定感は、他を圧倒する。うん、それは姫達磨なんて可愛いもんじゃなくて、選挙事務所に飾ってある大達磨ぐらいの迫力なのだ。さらに、愛嬌があるのは、顔。選挙の大達磨みたいな厳ついんじゃなくて、恵比寿さんの顔をそのまま丸く切り取ったような、とろんとろんの笑顔。とにかく一度見たら絶対に忘れられない、おっぱいシスターズなのだ。

    なぜ、この二人の名前を知ったかというと、とても単純。二人は、お互いを「まゆみちゃん」「ますみちゃん」と呼び合う。そして、エエ歳をしながら自分のことをそれぞれ「まゆみはね」とか「ますみがこの間」という具合に話す。が、それもまた妙に似合う二人なのだ。

    露天風呂常連の婆さんたちは、この二人をからかって笑うのが楽しいらしく、すぐに彼女たちの自慢のおっぱいを褒め始める。「あんたらのは、拝みとなるようなおっぱいじゃ」「ほんとぢゃ、ご利益ありそうなのぉ」「国宝の阿弥陀さんみたいなもんぢゃ」
    まゆみちゃんはその度に大笑いしながら答える。「おばさんら、いっつも褒めてくれるけどが、このまんまやったら、私ら二人揃うて国宝の持ち腐れやワ〜」。無口だけど、表情の豊かなますみちゃんが、おっぱいを持ち上げるような仕草をすると、婆さんたちは大笑いしながら柏手を打って拝む。この露天風呂のアイドルみたいな二人だったのだ。

    そのおっぱいシスターズがいきなり朝風呂に来なくなった時期がいつごろだったのかは明確には思い出せないが、優に季節が一巡りするぐらいの月日は経っていたと思う。
    朝一番の露天風呂には、すでに数人の常連客の顔があった。私はいつもどおり、婆さんたちに会釈して、一番熱い浴槽にザブンと身を沈めた。朝の露天風呂が好きなのは、背後の山からなだれてくるような青葉の光りだ。湯船にゆらゆらと映りこむ生まれたての朝の光りは、伸ばした二本の脚にゆらゆらと届く。

    いきなり声を上げたのは、おテルちゃんだった。「ありゃ、あんたら、どうしたことぞな!」皆が一斉に振り向いた。ちょうどミストサウナから出てきた人影の前に立ちふさがるように、おテルちゃんがいた。そして、言った。「あんたら、まゆみちゃんとますみちゃんぢゃろ?」

    ギョッとした。そこに居た二人は、空気の抜けたキューピー人形みたいだったからだ。あの真正面を向いていたお碗おっぱいの乳頭は前かがみに垂れ、大達磨のごとき下半身は縮み、そのせいか妙に脚がひょろひょろと長くなったようにも見えた。が、じっと見てみれば、たしかに顔はあの恵比須さま。間違いなく、まゆみちゃんとますみちゃんだった。二人は、おテルちゃんに首を縮めるような会釈をし、そそくさと上がっていった。

    「どうしたこっちゃろ、あの二人は。あないに急激に痩せるってのは、普通やないな」と、おテルちゃんが私に話しかけてきた。「流行のバナナダイエットでも始めたんですかね。だとすれば、二十キロ以上は落とせてますよね」「びっくりしたなあ、好きな男でも出来たんぢゃろか。けど、あれは痩せすぎぢゃあ。自慢のおっぱいも萎んどったがな」
    同じ湯船に入ってきていた、ほうかや婆さんが珍しく口をきいた。「拝むほどのもんやないなっとったのぉ」

    その何日後だったか、
    徹夜明けの原稿を書き上げてみると、あと十五分ほどで一番湯の時間になるタイミングだった。このまま布団に倒れ込んでもいいのだが、原稿を書き続けていたせいで脳はまだ興奮したまま。いっそ一番湯に入って、湯上がりのビールでも飲んでガッと寝た方がいいだろうと思い立った。

    私としては最高に早い入湯時間なのだが、露天風呂にはすでに人影があった。いつものように、まっしぐらに一番熱い湯にザブンと入ってみると、目の前の源泉かけ流しの湯に浸かっているのが、まゆみちゃんとますみちゃんだとわかった。不躾に眺めるのも失礼だとは思いながら、二人の余りの激ヤセぶりに目を引かれてしまって、視線が残ったのだろう。フッと、まゆみちゃんと目があってしまった。眼鏡をかけてない、まゆみちゃんの方だ。

    「なんでしょうか?」と問いかけるような目。答えないで無視すると、もっと失礼だと思って、慌てて口を開いた。
    「あ・・いえ、ずいぶんお二人とも痩せられてるんで、ごめんなさい、どんなダイエットなさったんだろうと思って、不躾な話でごめんなさい」と謝った。

    二人は一瞬顔を見合わせたが、次の瞬間二人の口から「いえ、気にせんとって下さい」という全く同じ台詞が見事にハモって出てきたのに驚いた。驚いたのは、私だけでなくと、彼女たちもお互いに吃驚して、三人揃っての大笑いになってしまった。

    「実は、私らが痩せてしもうたのはダイエットやないんですよ」「は?」

    先ほどの私たちの笑い声に誘われたように、朝湯の常連客・金壺婆さんが入ってきた。そして、まゆみちゃんとますみちゃんの顔を見るなり、曲がった腰をギシギシと揺すりながら、急いで近づいてきて、こう言った。

    「あんたら、難儀なことやったなぁ、不憫なことやったなぁ・・」

    なんのことやら理解できない私と、「難儀やな不憫やな」を繰り返す金壺婆さんとを、交互に見つめていた、まゆみちゃんとますみちゃんだったが、やがて私は、源泉掛け流しの湯の淵に腰掛け、彼女たちの身の上話を聞くことになった。

    そもそも、まゆみちゃん・ますみちゃん姉妹のお父さんと、金壺婆さんは(ふた従兄弟の嫁ぎ先だったったか何か)遠い親類関係にあたるらしく、その淡い縁のおかげで、彼女たちの身の上に起こった出来事を知っていたのだという。

    金壺婆さんが口火を切った。
    「この子らがな、行き遅れたまんまなんは、ずっと親のめんどうをみよったけんぞな」「おばさん、そんなはっきり、行かず後家みたいな言い方は止めてやぁ」と、まゆみちゃんが笑った。眼鏡のますみちゃんもクスクス笑った。

    彼女たちが揃って結婚しそこねていたのは、彼女たちのお母さんの病気のせいだったらしい。どこの病院に行っても病名すら分からないまま、長い長い自宅での闘病生活を送っていたお母さん。生まれつき足の不自由なお父さん。彼女たちは、高校を出てからこの方、両親を支え続けてきたという。同じ事務職ながら、違う会社で働いていた彼女たちは、この明るい性格だから、縁談話の一つや二つはあったのだそうだが、その度に彼女たちは「自分が嫁に行ってしまったら、今の生活の負担が、まゆみちゃんだけにかかってしまう」「ますみちゃんだけに苦労させることになる」とお互いに気を使い合い、気を使い合っているうちにじわりじわりと婚期が過ぎていったらしい。

    「まあ、二人ともそれを言い訳にしてきたってとこもあるんやけどね」と、まゆみちゃんが笑うと、右のほっぺたに笑窪がでた。あれ?と思って、ますみちゃんを見ると、ますみちゃんの左のほっぺたに笑窪があった。双子って面白いなあと思いつつ拝聴していると、金壺婆さん主導の身の上話はだんだん深刻味を増していった。

    お母さんの容態が急変し、危篤状態に陥ったのは、去年の初夏。お母さんの病態に心痛を重ねていた彼女たちの身にまず起こったのは、お父さんの事故だった。家に着替えを取りに帰ろうとしていたお父さんのバイクを、左折しようとしたトラックが巻き込んだという。お父さんは、お母さんと同じ病院に救急車で運び込まれたが、翌々日に死亡。そのお父さんを追うように、お母さんも二週間後に亡くなったのだという。

    二人の嘆きようは、それは痛々しいものだったが、元来しっかり者のまゆみちゃんが、両親の葬儀を取り仕切り、「姉妹二人、力を合わせて生きていきます」という号泣まじりの挨拶に、参列者はみなもらい泣きしたという。

    が、この二人をさらなる困難が襲った。
    看病と仕事が続いた日々のせいで、二人ともが同じように「七キロほど痩せた」らしく、まゆみちゃんは同僚や近所の人たちに「あんなにダイエットしても、何の効果もなかったのに、こんなことで痩せられるなんてねぇ」と苦笑まじりに語っていたそうだが、方や、無口なますみちゃんの方に異変が起こった。
    少しずつ戻ってくる日常の中、まゆみちゃんはふっくらと体重を取り戻して行くのに、ますみちゃんは恐ろしい勢いでどんどん痩せていった。それと共にモノを食べられない症状が加速度的にひどくなり、ついに入院することになったらしい。

    私は、滂沱の冷や汗と共に、息を呑んだ。
    「ダイエットやなんて、とんでもないこと聞いて、ほんとにごめんなさい。まさかそんなことやったなんて・・」と謝る私の肩越しには、朝湯の常連メンバーが集まってきていた。「ほうかや、あんたらはそんな目に遭うとったんかや・・」と、ほうかや婆さんがつぶやけば、おテルちゃんはすでに貰い泣きしている。「こがいな弱弱しい体つきになり果ててのぉ・・つらかったのぉ」と金壺婆さんが、目を真っ赤にしたますみちゃんの腕を撫で続けている。

    日に日に痩せていくますみちゃん、立ち上がる気力もなくしていたますみちゃん。双子の姉であるまゆみちゃんは、そんな妹の世話をしているうちに、彼女にもまた拒食症の症状が出始めたという。双子とはなんという痛々しい相似形なのだろう。

    一応の退院を認められた妹・ますみちゃんは、久しぶりに家に帰ってみて、快活であった姉の沈うつな痩せ具合に愕然としたらしい。「まゆみちゃん、なんで、なんで」と泣きながら詰め寄ったますみちゃんの脳裏に、お葬式の日、喪主を務めたまゆみちゃんの挨拶がふいに蘇ったらしい。

    「双子の私たちは、こんなにこんなに人並み以上に大きに育ててもらったのに、目の前にいる父と母はあまりにも小さい亡骸で、二人とも苦労と病気で痩せに痩せて・・けどこの二人がおったおかげで、私ら二人は世に産み出してもらいました。これからは、妹と二人、力を合わして生きていきます。そうせんと、この小さい両親に申し訳が立ちません」

    二人の復活劇は、ますみちゃん退院の日から始まったらしい。お互いの体調を見つつ、助け合って、励ましあって、やっと両親の一周忌を終えるところまで辿り着いたそうな。
    「病院の先生には、まだまだ太ってエエよ、って言われるんやけど、前ほどは太らんでもエエかな〜って、まゆみちゃんとは話しよるんよね」とますみちゃんが言えば、「けど、国宝級のおっぱいは取り戻したいよね」とまゆみちゃんが笑う。二人を囲んでいる婆さんたちもつられて笑う。

    「わしらがあの世に行く前には、阿弥陀さんみたいなお乳をもう一遍拝ましてもらわんといけん」「ほうじゃ、ほうじゃ、成仏できんかったら、あんたらのせいぢゃ」「気張って太ってくれんといけんぞな」

    「おばさんら、勝手なことばっかり言うて。こうなったら、ますみちゃん、二人で賽銭とってやろな」と泣き笑いの表情になるまゆみちゃん。眼鏡をとって、青い貸しタオルで涙を拭いているますみちゃん。おっぱいシスターズ復活は、そう遠い日のことではないに違いない。

    バルタン婆さんの傘

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      今夜、松山・道後「ぶんぶく句会」での、空さんとの約束ともなった「平成浮世風呂」の第四話。ささやかに、お届けする夜であります。
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      朝風呂常連の婆さんたちの中で、一人だけ、群れに入らない婆さんがいた。顔見知りではあるようだが、群れない婆さん。骨太で、痩せて、背が高く、目がギョロっとデカくて、ドスがきいた、男みたいな骨格。
      誰かに似てるな…と、よくよく眺めていたらバルタン星人に似ていることに気付いた。以来、ワタシはこっそりバルタン婆さんと呼んでいた。

      その朝のミストサウナは、いつも以上に豪快な蒸気を噴き出していた。辛うじて自分の足元がみえるだけの蒸気の中、石のベンチの定位置に座ったら、すぐ横でいきなり声がした。
      「アンタなあ」
      ギョっとした。誰かいるとは思わなかったからだ。じっと目を凝らすと、濃い蒸気の中にバルタン婆さんが座っていた。婆さんはいきなり尋ねてきた。
      「オネエサン、あんた独りモンかな」
      まだ再婚する前だった私は、そのうち再婚しますなんて惚気たことをいうのは、こっぱずかしかったものだから「ハア…一人です。けど、なんで一人モンやって分かるんですか」と問い返した。
      「あんたの歳で、こんな時間に一人でしょっちゅう温泉に来とるんは、独りモンに決まっとらいな」と、彼女はちょっとえらそうに決めつけた。「こんな時間に風呂でふらふら遊びよるいうことは、水商売ぢゃろげ」と、これまた決めつけてきた。「水商売できるほど色っぽいヤツやと思うてもろたんやったら、光栄やワ〜(笑)ある意味極道な商売で御飯食べさしてもろとるけど、ま、子どもらも育てんといけんし、ボツボツやらしてもらいよります〜」と笑ったら、「なんや、子持ちのバツイチかや…」と、それきり黙り込んだ。

      ロビーの横の休憩室。
      バルタン婆さんがいた。洋服を着るとますます男っぽかった。心の中で、バルタン婆さんちゃうな、バルタン爺さんやな…と思った。バルタン爺さんは、他のホンマもんの爺さんたちに混じって、喫煙コーナーのソファーで煙草をふかしていた。爺さんたちとも距離を置いているらしく、背を斜に向けて、横目でテレビを睨んでいた。

      玄関まで出ると、生憎の雨。おいおい、せっかく風呂浴びてエエ気持ちやのに、濡れて帰れっちゅーのかいと…空を見上げていたら、後ろで声がした。
      「オネエサン、傘貸しちゃろわい」
      「あ、けど…」
      「かまんのよ、もう一本持っとるけん。骨が折れとるけどが、濡れて帰るよりはよかろげ」
      「あ、じゃあ、お借りします。あのぉ、今度はいつここに来られますか?そん時にお返ししますんで」
      「返してもらわんでもエエような傘やけどが、毎週水曜にはここに来よらいな」

      以来、意識して水曜日には朝風呂に通ったのだが、当のバルタン婆さんとはなかなか会えなかった。ワタシの温泉用ビニールバックには、いつもバルタン婆さんの傘が突っ込まれたままだった。

      人に物を借りていてなかなか返せないというのも、ささやかな気重だが、だからといってどうすることも出来ず、あれよあれよというまに気がつけば半年ほど経っていたある朝、源泉掛け流しの湯舟で、金壺婆さんにつかまった。また金壺婆さんの女一代記を聞くのはちょっと閉口な気分だったので、こっちからバルタン婆さんのことを尋ねてみた。
      「背の高い、目のギョロっと大きいオバサンに傘借りたんですが、最近全然会えんのですよ」
      「背の高い…いうて誰ぞいなぁ…そんで、最近来てないゆうたら…あ!キワ子さんかや」
      「キワ子さんですか、あのちょっと男っぽいオバサン」
      「…そうかや、アンタ、キワ子さんに傘借りとったかな…けどな、その傘もう返さんでエエぞな」
      「でも水曜日にはここに来るっていいよったし、気長に待ってみます」
      「いや、そうやのぉてな、キワ子さん…死んだんよ」
      「エッ?!」

      彼女を発見したのは、隣の家に定期的に通っていた民生委員さんだったそうな。そういえば姿をしばらく見てないなと気になったらしく、彼女の家に声をかけてみたという。玄関には鍵がかかっていたが、庭の方に回って中を覗き、居間で倒れたままの彼女を発見したらしい。

      死因は肺炎。食べ物らしいものはどこにも何一つなく、端の端まで吸い尽くした煙草が数本、灰皿に残っていたのみだったという。家族も子どももなく、親戚らしき人間がいるにはいたらしいが、結局のところ所在が分からず、彼女の遺骨は近くの寺の無縁塚に納められたという。

      そして、私の手元には、骨の折れたままの傘が残った。返そうにも返すことができない傘が一本。婆さん、この傘どうしたもんぢゃろかと問い掛けてもみたいが、この春の夜空のどこに、婆さんのバルタン星があるのか、私に分かるはずもない。

      女将のペンダント

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        じゃあ、リクエストにお答えして、ワタクシが聞きかじっている「平成浮世風呂」第三話。

        露天風呂が婆さん天国となるのは、温泉の始まる朝の六時〜八時の約二時間。八時半を過ぎる頃から、ぽつぽつと歩行浴を楽しむオバサンたちが増えてくるが、婆さん天国のこの二時間はほぼ常連の顔ぶれとなる。婆さんのゴールデンアワーに、一人だけ異色な女性が時たま顔を見せる。
        ワタシは勝手にこの人のことを「女将」と名付けた。長い髪をクルクルと巻き上げているうなじのあたりの色っぽさ、歳を感じさせないスリムな体型、ちょっと知的な匂いがしないでもない手慣れた人あしらい。いかにも、小料理屋のキリリと愛想良い女将さんといった感じなのだ。

        あれはいつだったか、早朝のだだっぴろい露天風呂にいるのが、女将とワタシとたった二人っきりだった日のことだ。温泉にいる時は、自分の方から入浴客に話し掛けることは滅多にしないワタシなのだが、あの日は婆さんたちが一人もいないことを不思議に思ってたので、ふっと女将に話し掛けてしまった。
        「今日は、常連のお婆ちゃんたちおらんですね」
        女将が、ふふって笑って教えてくれた。「今日はね、この地区のお年寄りたちは旅行に行っとるんですよ」

        彼女の話しによると、老人会の年に一度の日帰り旅行で金比羅さんに出掛けているらしい。
        「婆ちゃんたち、バスの中で賑やかにやってんでしょうね〜」「バスは出発したばかりやけど、もうカラオケ始めとるんでしょうね」と、女将はくすくす笑いながら問い返してきた。「いっつもここに来とる婆ちゃんたちと、お親しいんですか」「いいえ〜、ワタシはたまたま同じ時間に風呂に来るだけなんやけど、聞くともなしに聞こえてくる婆ちゃんらの話が面白いもんやから、勝手に親しみを覚えとるだけなんですよ」

        もともと話好きらしい彼女が「実はねえ」と切り出した話を、ワタシは、源泉掛け流しの湯舟に浸かったまま拝聴することになった。それは、婆ちゃんたちの心温まる武勇伝であった。

        「実はねえ、あの元気な婆ちゃんらは、私の恩人なんです」「恩人?」「オーム真理教の事件が起こった頃のことやったんですが…」「オーム真理教?」

        彼女は、この近くで店を開いているのだという。そうか、やっぱり小料理屋に違いないと、尋ねてみる。「なんのお店ですか?」「うどんとコーヒーの店です」「うどんと…コーヒーですか」 ちょっとその取り合わせは、ビミョーやろ…と思いつつも、女将の話に耳を傾ける。

        「私なりに多少の苦労もしながら、やっとこの土地に店を構えたもんやから、軌道に乗るのかどうか、ほんと心配しながらの開店やったんです。けど、はじめてみたら、案ずるよりナントカっていうやつで、お客さんもすぐについてくれて順調に商売しよったんです。それが、なんでかある数日を境にパッタリ客足が減って、気がついたら常連さんも来てくれんなって、もう何がダメなんか分からんまま、困り果てましてねえ…」「一体何が原因やったんですか?」「それがアナタ、どこの誰がなんの恨みがあって流した噂なんかはいまだに分からんのですが、うちの店はオーム真理教が経営しよるって噂が立っとったんです。それが回りまわって耳に入ってきた時は、吃驚仰天ですワ」

        タチの悪いイタズラか、誰かの思惑であったのか、この噂のせいで女将の店は倒産ギリギリのところまで追い込まれたんだそうな。しばらくは店の心配ばかりが募って朝風呂に入ろうなんて考える気にもならなかったらしいが、いざとなれば店を畳むだけだと腹を括って、ある朝久しぶりに温泉にきたらしい。
        それまで、この温泉の常連である婆ちゃんたちと親しく話したことはなかったんだそうだが、この女将のことだから感じの良い挨拶や会釈は交わしていたに違いない。

        「ある日、おテルさんが…あ、わかりますか?あの元気なお婆ちゃん」「あ、ハイ。皆がおテルちゃんて呼んでる、小柄なお婆ちゃん」「そう、あのおテルさんが、脱衣場のロッカーのところで、あのぉ…って声を掛けてくれて、私が首に掛けとったペンダントを指さすんです」「ペンダント?」「はい、私は全く信仰心の無い人間なんですが(苦笑)、生まれた時に洗礼だけは受けさせられて、その十字架のペンダントは母の形見やったもんですから、信仰とは関係なしに形見として首にかけとったんです」「ふーん…」

        おテルちゃんは、女将のペンダントを指さして「あんたは、キリシタンさんなんか?」と尋ねたのだそうな。女将は、おテルちゃんの真意が分からないまま、漠然とその質問を肯定したらしい。

        「ハルさんは分かりますか?」「ハルさん?…その人は知りません」「おテルさんといつも一緒に来とる大きな婆ちゃんなんやけど」「え!…ほうかや婆さんですか?」
        女将は一瞬、ハッ?という顔をしたが、すぐさま笑いだした。「そうや、そうや、ハルさんは、『ほうかや』しか言わんですね(爆笑)」「すんません、婆ちゃんたちに、あだ名つけまくってます。それにしても、ほうかや婆さんってハルさんっていうんですか…異様に似合いませんね」と言ったら、女将が腹をかかえて笑い出した。

        女将のペンダントのことを、おテルちゃんは早速、ほうかや婆さんにしゃべったらしい。あの人は「キリシタンさん」や、と。ほうかや婆さんは、普段は起きてるのか寝てるのか分からない感じで、正直言うとワタシはちょっと認知症入ってる婆ちゃんかな…ぐらいに思ってたもんだから、この後の女将の話に、ぶっ飛んだ!

        「露天風呂に入ったら、湯舟の向こう側に浸かっとったハルさんが、のっしりやってきて『あんた、キリシタンさんやったら、オーム真理教ちゃうんやろがな』って、いきなり話し掛けてくれて」「えっ、ほうかや婆さん、そんな長いセンテンスしゃべれるんですかッ?」「ハルさんは正義感の篤い人で、ウチの店のことも気にしてくれとったみたいなんです」「お店の常連さんやったんですか?」「いえ、店には一度も。でも、オームの噂のせいで、ウチの店が潰れるんやないかという噂が立っとることも知っとったらしいんです」「ふーん…」

        そこから婆ちゃんたちの底力が動き始めたというのだから、驚いた。
        ほうかや婆さんは、おテルちゃんに女将の十字架のペンダントの話をあっちこっちで吹聴させたらしい。そして、自らも、おテルちゃんと一緒に好きでもない「コーヒー」の店に出掛け、「うどん」だけを食べて帰ることを、しばらく続けてくれたらしい。婆ちゃんたちの、情報網は凄まじかったそうな。「オームの噂」を流した犯人探しも、しばらくは喧しい噂になったそうだが、何とかの噂も七十五日というヤツで、少しずつ常連客たちが店に戻ってきて、女将の店は徐々に持ち直してきたのだそうな。

        「すごい話やな、それ」「おかげさんで、なんとか今も店続けていけよるんです」「ほうかや婆さんたちは、今も、うどん食べに来てくれよるんですか?」「それが(笑)、うどんは飽きたそうで」「ははは!可笑しい救世主やな」「うどんは飽きたそうなんやけど、コーヒーの味を覚えてくれて、週に何度かは午後のお茶しに来てくれよります(笑)」

        そ、そうか…ほうかや婆さん、正義の味方やったんか。
        カッコエエやんか、ほうかや婆さん! 
        「ほうかや」だけの、ほうかや婆さんやなかったんや!
        んで、婆さん…ハルさんって名前やったんか。せっかく可愛い本名を覚えたのに、ワタシの脳味噌だけが、これを受け付けようとしない武勇伝の顛末。

        おテルちゃんの恋

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          昨日のブログを読んでくれてた人が、「『金壺婆さん』の他にどんな婆さんたちが朝湯の常連なんですか?」と問うて下さったので、ついでの第二話。

          ワタシが一番よく行く温泉に、必ず二人連れで来る婆ちゃんたちがいる。大きな婆ちゃんの方をワタシは「ほうかや婆さん」と名付けた。連れが何を話し掛けても「ほうかや」(伊予弁で「そうですか」の意)としか言わないからだ。連れの小さい婆ちゃんは「おテルちゃん」。これは、他の婆さんたちがことあるごとに「おテルちゃん、おテルちゃん」と呼んでるから、ほぼ本名に違いない。

          おテルちゃんは、服脱いでる時も、洗い場で体洗ってる時も、湯舟に入っている時もひたすらしゃべり続ける。若いときは可愛かったに違いない愛嬌たっぷりの笑顔を誰にも彼にも振りまく。そして、いつも一緒にいる、ほうかや婆さんの世話ばかりする。「お湯な、ちょっと熱いし、気ぃつけてな」「そっちがシャンプーで、こっちが体洗うヤツやで」「こんなして上半身出して入ったら、年寄りはノボせんですむから、そうしぃや」という具合に、いちいち、ほうかや婆さんの世話を焼く。かたや、ほうかや婆さんは何を言われても、「ほうかや」しか言わない。この言葉しか知らないのではないかと疑りたくなったが、この間初めて「ほうかや」以外の言葉を発する場面を目撃した。

          おテルちゃんが「背中洗うてあげよ」といって、ほうかや婆さんの返事を待たずガンガン背中を洗い、さらに調子に乗って、ほうかや婆さんのダランと垂れたおっぱいを持ち上げて「おりゃ、よう垂れとる」と冗談言ったら、ほうかや婆さんが「ほっとけ」と言って鏡の中のおテルちゃんを睨んだ。なかなか迫力があった。

          おテルちゃんが唯一黙るのは、マッサージらしきものを自分の顔に施している時だけだ。ちょっと温めの浴槽に入って、両肘を高々とあげ、両手の中指と薬指をそろえ、小刻みに動かしながら顔面をパッティングしていく。軽やかに丁寧に叩き続ける。心ゆくまでその美容コースを楽しんだら、最後に水風呂の水を洗面器に何杯かかぶる。どうもこれが、彼女の信奉する美容と健康の秘訣らしい。おテルちゃんは終わると必ず、ほうかや婆さんにもこのコースを進める。小じわを作らないための地道ながら最良の方法だと、おテルちゃんに毎回勧められても、ほうかや婆さんは動かない。「ほうかや」と返事はするものの、ワタシの見る限り一度もこれを実践したことはない。これもまた、ほうかや婆さんなりの哲学なのだろう。

          おテルちゃんたちがいない時に、顔見知りの婆さんたちがおテルちゃんの噂をしているのを耳にした。おテルちゃんは、広島の原爆でダンナと子ども二人を亡くしたらしい。生き残った末の男の子を育てあげるためいろんな苦労を重ねたらしいが、今はこの近くでカラオケ喫茶か飲み屋かをやってるみたいだ。「おテルちゃん、あんなやけどな、さんざん苦労はしてきたんやワ。けどな、けどやなあ、あの歳であそこまで露骨にテツゾウさんに迫るのは、アンタ品が無さ過ぎやろ〜」

          嗚呼、おテルちゃん、おテルちゃん〜
          人生いろいろあったんやな、おテルちゃん。老いらくの恋もエエやないか、おテルちゃん。これもまたおテルちゃんの、女の一本道なんやろな〜

          大蛇の姐さん

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            朝から温泉に行った。
            体力回復も仕事のうちだと考えることにしたからだ。
            なんで今朝起きて温泉に行こうと思ったかというと、軽く昨夜のお酒が残っていたからだ・・あう

            ウチの近辺には温泉が幾つかある。車で三分のところに二つ。電車で一駅二駅と範囲を広げるとさらに選びたい放題な感じで温泉がある。その日の気分でよりどりみどりである。

            露天風呂で過ごす時間は貴重だ。そこでいろんなアイデアがぷわっと浮かんできたり、雑然としていたことに一本道筋がついて脳みそがスッキリすることも多い。

            一番よくいく温泉には、朝風呂常連の婆ちゃんたちがいる。
            朝の八時半を過ぎたぐらいからは中年のオバサンたちが歩行浴のエリアに集い始めるが、それまでの朝風呂は婆ちゃんたちの天下だ。

            朝風呂に集まる婆ちゃんたちに勝手にあだ名をつけている。これも俳人のサガか・・?ついつい観察してしまう。
            今日は、金壺婆さんと一緒になった。くぼんだ丸い金壺眼と、ぐぐっと曲がった腰がトレードマークだ。この婆さんと一緒の湯舟に入ったら、誰でも最低十分や二十分は話を聞かされる。おかげで、この婆さんが大工だったダンナに若い頃に死に別れてからの苦労話を、婆さん本人に代わって語れるぐらいワタクシは熟知している。

            今朝の露天風呂には金壺婆さんしかいなかったので、こりゃヤバイと思ったが、なぜか婆さんはいそいそしている。「オネエサン、今な、サウナに若い女が二人入ったけど、背中に妙なもん彫っとる。大きな蛇みたいなもんやったが、あんなんと一緒の湯には入れやせんがな、おーコワ」
            「ほうー刺青ですか」
            「オネエサンもさっさと風呂出たほうがエエで。ヤクザに決まっとるで、あんなんは」とご親切に忠告してくれる。

            そんな刺青ならば、ちょっと拝見したくなるではないか!
            金壺婆さんの忠告を無視して、待つこと十分と少し。おおー出できましたがな、大蛇の姐さん〜! なぜかサングラスかけたまま風呂に入っているのが不思議だ。こちらにわざと背中を見せるかのように、水風呂の水をかぶっている。暗緑色の雲をまとった大蛇が、大きな赤い花にとぐろ巻いてるみたいな図案。うーむ、なかなかの迫力だ。もう一人の小柄な方は、腰のあたりに青と紫っぽいものが彫られているが、小さいので図案までは分からない。

            さんざん水を浴びた二人は、ワタシの浸かっている浴槽の隣の、ちょっと熱めの湯舟に体を沈めた。ヒタヒタと話し声が聞こえてくる。大蛇の姐さんがしきりにもう一人に訴えている。「そんでな、メールしても返事ないんやわ、どうしたらエエんやろ、わたしな、タッちゃんに気持ち伝えたいだけなんやけど…」「そうかぁ、切ないなあ」「ホワイトデー待ってみた方がエエかな…」「そうやな、ダメもとやけどな」「やっぱ…諦めんといかんのかな…タッちゃん」

            大蛇背負ってるクセにこの話題はなんぢゃ?!…と面食らいつつ、つまらん長湯しているワタシもワタシである。一足先に上がっていく大蛇の姐さんのポッと温もった、若い娘らしい桃色のお尻を、なんだかいじらしい気持ちで見送った。頑張れよ、姐さん〜世の中なあ、タッちゃんだけが男やないからな〜

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