平成浮世風呂 第五話
■第五話 おっぱいシスターズの涙■
まゆみちゃんとますみちゃん、
なんで双子ってのは、こんな分かりやすいセット名前になるんだろう。が、だからといって、リカちゃんとトミコちゃん・・なんて付けるのも、なにやら不都合であろうことは想像に難くない。
まゆみちゃんとますみちゃん、
どんな字を書くのかは知らないが、この二人は一度会ったらちょっとやそっとでは忘れられない肉体の持ち主だ。年齢は三十代後半か四十に手がとどいたかどうか、まだまだ衰えていない肌の艶がまぶしい二人。双子だから顔は瓜二つってやつだが、露天風呂で会う時は間違いなく区別がつけられる。まゆみちゃんは普通に真っ裸で入ってくるが、ますみちゃんは風呂の中でも眼鏡をかけている。そのせいかどうかは分からないが、ますみちゃんはサウナには入らない。まゆみちゃんがサウナで過ごす以外の時間、二人は常に一緒に行動する。源泉掛け流しの湯に浸る時も、洗い場に移動する時も、ジェットバスに入る時も、歩行湯で歩く時もいつも一緒だ。
この二人、何が凄いって、おっぱいが凄い。
ぐりんぐりんの巨大なお椀を伏せたような見事なおっぱい。誰だっておっぱいってやつは左右微妙に大きさが違ってたりするものだが、この二人は左右同じ大きさのお碗おつぱいがりんりんと真正面をむいている。女の私が見ても、お見事!という代物だが、それが二人×二個=四個が、常に並んで動いていく光景ってのはなかなかに見ものだ。さらに、この二人が凄いのは、その下半身。次第に姫達磨みたいに太くなっていく腰の安定感は、他を圧倒する。うん、それは姫達磨なんて可愛いもんじゃなくて、選挙事務所に飾ってある大達磨ぐらいの迫力なのだ。さらに、愛嬌があるのは、顔。選挙の大達磨みたいな厳ついんじゃなくて、恵比寿さんの顔をそのまま丸く切り取ったような、とろんとろんの笑顔。とにかく一度見たら絶対に忘れられない、おっぱいシスターズなのだ。
なぜ、この二人の名前を知ったかというと、とても単純。二人は、お互いを「まゆみちゃん」「ますみちゃん」と呼び合う。そして、エエ歳をしながら自分のことをそれぞれ「まゆみはね」とか「ますみがこの間」という具合に話す。が、それもまた妙に似合う二人なのだ。
露天風呂常連の婆さんたちは、この二人をからかって笑うのが楽しいらしく、すぐに彼女たちの自慢のおっぱいを褒め始める。「あんたらのは、拝みとなるようなおっぱいじゃ」「ほんとぢゃ、ご利益ありそうなのぉ」「国宝の阿弥陀さんみたいなもんぢゃ」
まゆみちゃんはその度に大笑いしながら答える。「おばさんら、いっつも褒めてくれるけどが、このまんまやったら、私ら二人揃うて国宝の持ち腐れやワ〜」。無口だけど、表情の豊かなますみちゃんが、おっぱいを持ち上げるような仕草をすると、婆さんたちは大笑いしながら柏手を打って拝む。この露天風呂のアイドルみたいな二人だったのだ。
そのおっぱいシスターズがいきなり朝風呂に来なくなった時期がいつごろだったのかは明確には思い出せないが、優に季節が一巡りするぐらいの月日は経っていたと思う。
朝一番の露天風呂には、すでに数人の常連客の顔があった。私はいつもどおり、婆さんたちに会釈して、一番熱い浴槽にザブンと身を沈めた。朝の露天風呂が好きなのは、背後の山からなだれてくるような青葉の光りだ。湯船にゆらゆらと映りこむ生まれたての朝の光りは、伸ばした二本の脚にゆらゆらと届く。
いきなり声を上げたのは、おテルちゃんだった。「ありゃ、あんたら、どうしたことぞな!」皆が一斉に振り向いた。ちょうどミストサウナから出てきた人影の前に立ちふさがるように、おテルちゃんがいた。そして、言った。「あんたら、まゆみちゃんとますみちゃんぢゃろ?」
ギョッとした。そこに居た二人は、空気の抜けたキューピー人形みたいだったからだ。あの真正面を向いていたお碗おっぱいの乳頭は前かがみに垂れ、大達磨のごとき下半身は縮み、そのせいか妙に脚がひょろひょろと長くなったようにも見えた。が、じっと見てみれば、たしかに顔はあの恵比須さま。間違いなく、まゆみちゃんとますみちゃんだった。二人は、おテルちゃんに首を縮めるような会釈をし、そそくさと上がっていった。
「どうしたこっちゃろ、あの二人は。あないに急激に痩せるってのは、普通やないな」と、おテルちゃんが私に話しかけてきた。「流行のバナナダイエットでも始めたんですかね。だとすれば、二十キロ以上は落とせてますよね」「びっくりしたなあ、好きな男でも出来たんぢゃろか。けど、あれは痩せすぎぢゃあ。自慢のおっぱいも萎んどったがな」
同じ湯船に入ってきていた、ほうかや婆さんが珍しく口をきいた。「拝むほどのもんやないなっとったのぉ」
その何日後だったか、
徹夜明けの原稿を書き上げてみると、あと十五分ほどで一番湯の時間になるタイミングだった。このまま布団に倒れ込んでもいいのだが、原稿を書き続けていたせいで脳はまだ興奮したまま。いっそ一番湯に入って、湯上がりのビールでも飲んでガッと寝た方がいいだろうと思い立った。
私としては最高に早い入湯時間なのだが、露天風呂にはすでに人影があった。いつものように、まっしぐらに一番熱い湯にザブンと入ってみると、目の前の源泉かけ流しの湯に浸かっているのが、まゆみちゃんとますみちゃんだとわかった。不躾に眺めるのも失礼だとは思いながら、二人の余りの激ヤセぶりに目を引かれてしまって、視線が残ったのだろう。フッと、まゆみちゃんと目があってしまった。眼鏡をかけてない、まゆみちゃんの方だ。
「なんでしょうか?」と問いかけるような目。答えないで無視すると、もっと失礼だと思って、慌てて口を開いた。
「あ・・いえ、ずいぶんお二人とも痩せられてるんで、ごめんなさい、どんなダイエットなさったんだろうと思って、不躾な話でごめんなさい」と謝った。
二人は一瞬顔を見合わせたが、次の瞬間二人の口から「いえ、気にせんとって下さい」という全く同じ台詞が見事にハモって出てきたのに驚いた。驚いたのは、私だけでなくと、彼女たちもお互いに吃驚して、三人揃っての大笑いになってしまった。
「実は、私らが痩せてしもうたのはダイエットやないんですよ」「は?」
先ほどの私たちの笑い声に誘われたように、朝湯の常連客・金壺婆さんが入ってきた。そして、まゆみちゃんとますみちゃんの顔を見るなり、曲がった腰をギシギシと揺すりながら、急いで近づいてきて、こう言った。
「あんたら、難儀なことやったなぁ、不憫なことやったなぁ・・」
なんのことやら理解できない私と、「難儀やな不憫やな」を繰り返す金壺婆さんとを、交互に見つめていた、まゆみちゃんとますみちゃんだったが、やがて私は、源泉掛け流しの湯の淵に腰掛け、彼女たちの身の上話を聞くことになった。
そもそも、まゆみちゃん・ますみちゃん姉妹のお父さんと、金壺婆さんは(ふた従兄弟の嫁ぎ先だったったか何か)遠い親類関係にあたるらしく、その淡い縁のおかげで、彼女たちの身の上に起こった出来事を知っていたのだという。
金壺婆さんが口火を切った。
「この子らがな、行き遅れたまんまなんは、ずっと親のめんどうをみよったけんぞな」「おばさん、そんなはっきり、行かず後家みたいな言い方は止めてやぁ」と、まゆみちゃんが笑った。眼鏡のますみちゃんもクスクス笑った。
彼女たちが揃って結婚しそこねていたのは、彼女たちのお母さんの病気のせいだったらしい。どこの病院に行っても病名すら分からないまま、長い長い自宅での闘病生活を送っていたお母さん。生まれつき足の不自由なお父さん。彼女たちは、高校を出てからこの方、両親を支え続けてきたという。同じ事務職ながら、違う会社で働いていた彼女たちは、この明るい性格だから、縁談話の一つや二つはあったのだそうだが、その度に彼女たちは「自分が嫁に行ってしまったら、今の生活の負担が、まゆみちゃんだけにかかってしまう」「ますみちゃんだけに苦労させることになる」とお互いに気を使い合い、気を使い合っているうちにじわりじわりと婚期が過ぎていったらしい。
「まあ、二人ともそれを言い訳にしてきたってとこもあるんやけどね」と、まゆみちゃんが笑うと、右のほっぺたに笑窪がでた。あれ?と思って、ますみちゃんを見ると、ますみちゃんの左のほっぺたに笑窪があった。双子って面白いなあと思いつつ拝聴していると、金壺婆さん主導の身の上話はだんだん深刻味を増していった。
お母さんの容態が急変し、危篤状態に陥ったのは、去年の初夏。お母さんの病態に心痛を重ねていた彼女たちの身にまず起こったのは、お父さんの事故だった。家に着替えを取りに帰ろうとしていたお父さんのバイクを、左折しようとしたトラックが巻き込んだという。お父さんは、お母さんと同じ病院に救急車で運び込まれたが、翌々日に死亡。そのお父さんを追うように、お母さんも二週間後に亡くなったのだという。
二人の嘆きようは、それは痛々しいものだったが、元来しっかり者のまゆみちゃんが、両親の葬儀を取り仕切り、「姉妹二人、力を合わせて生きていきます」という号泣まじりの挨拶に、参列者はみなもらい泣きしたという。
が、この二人をさらなる困難が襲った。
看病と仕事が続いた日々のせいで、二人ともが同じように「七キロほど痩せた」らしく、まゆみちゃんは同僚や近所の人たちに「あんなにダイエットしても、何の効果もなかったのに、こんなことで痩せられるなんてねぇ」と苦笑まじりに語っていたそうだが、方や、無口なますみちゃんの方に異変が起こった。
少しずつ戻ってくる日常の中、まゆみちゃんはふっくらと体重を取り戻して行くのに、ますみちゃんは恐ろしい勢いでどんどん痩せていった。それと共にモノを食べられない症状が加速度的にひどくなり、ついに入院することになったらしい。
私は、滂沱の冷や汗と共に、息を呑んだ。
「ダイエットやなんて、とんでもないこと聞いて、ほんとにごめんなさい。まさかそんなことやったなんて・・」と謝る私の肩越しには、朝湯の常連メンバーが集まってきていた。「ほうかや、あんたらはそんな目に遭うとったんかや・・」と、ほうかや婆さんがつぶやけば、おテルちゃんはすでに貰い泣きしている。「こがいな弱弱しい体つきになり果ててのぉ・・つらかったのぉ」と金壺婆さんが、目を真っ赤にしたますみちゃんの腕を撫で続けている。
日に日に痩せていくますみちゃん、立ち上がる気力もなくしていたますみちゃん。双子の姉であるまゆみちゃんは、そんな妹の世話をしているうちに、彼女にもまた拒食症の症状が出始めたという。双子とはなんという痛々しい相似形なのだろう。
一応の退院を認められた妹・ますみちゃんは、久しぶりに家に帰ってみて、快活であった姉の沈うつな痩せ具合に愕然としたらしい。「まゆみちゃん、なんで、なんで」と泣きながら詰め寄ったますみちゃんの脳裏に、お葬式の日、喪主を務めたまゆみちゃんの挨拶がふいに蘇ったらしい。
「双子の私たちは、こんなにこんなに人並み以上に大きに育ててもらったのに、目の前にいる父と母はあまりにも小さい亡骸で、二人とも苦労と病気で痩せに痩せて・・けどこの二人がおったおかげで、私ら二人は世に産み出してもらいました。これからは、妹と二人、力を合わして生きていきます。そうせんと、この小さい両親に申し訳が立ちません」
二人の復活劇は、ますみちゃん退院の日から始まったらしい。お互いの体調を見つつ、助け合って、励ましあって、やっと両親の一周忌を終えるところまで辿り着いたそうな。
「病院の先生には、まだまだ太ってエエよ、って言われるんやけど、前ほどは太らんでもエエかな〜って、まゆみちゃんとは話しよるんよね」とますみちゃんが言えば、「けど、国宝級のおっぱいは取り戻したいよね」とまゆみちゃんが笑う。二人を囲んでいる婆さんたちもつられて笑う。
「わしらがあの世に行く前には、阿弥陀さんみたいなお乳をもう一遍拝ましてもらわんといけん」「ほうじゃ、ほうじゃ、成仏できんかったら、あんたらのせいぢゃ」「気張って太ってくれんといけんぞな」
「おばさんら、勝手なことばっかり言うて。こうなったら、ますみちゃん、二人で賽銭とってやろな」と泣き笑いの表情になるまゆみちゃん。眼鏡をとって、青い貸しタオルで涙を拭いているますみちゃん。おっぱいシスターズ復活は、そう遠い日のことではないに違いない。
まゆみちゃんとますみちゃん、
なんで双子ってのは、こんな分かりやすいセット名前になるんだろう。が、だからといって、リカちゃんとトミコちゃん・・なんて付けるのも、なにやら不都合であろうことは想像に難くない。
まゆみちゃんとますみちゃん、
どんな字を書くのかは知らないが、この二人は一度会ったらちょっとやそっとでは忘れられない肉体の持ち主だ。年齢は三十代後半か四十に手がとどいたかどうか、まだまだ衰えていない肌の艶がまぶしい二人。双子だから顔は瓜二つってやつだが、露天風呂で会う時は間違いなく区別がつけられる。まゆみちゃんは普通に真っ裸で入ってくるが、ますみちゃんは風呂の中でも眼鏡をかけている。そのせいかどうかは分からないが、ますみちゃんはサウナには入らない。まゆみちゃんがサウナで過ごす以外の時間、二人は常に一緒に行動する。源泉掛け流しの湯に浸る時も、洗い場に移動する時も、ジェットバスに入る時も、歩行湯で歩く時もいつも一緒だ。
この二人、何が凄いって、おっぱいが凄い。
ぐりんぐりんの巨大なお椀を伏せたような見事なおっぱい。誰だっておっぱいってやつは左右微妙に大きさが違ってたりするものだが、この二人は左右同じ大きさのお碗おつぱいがりんりんと真正面をむいている。女の私が見ても、お見事!という代物だが、それが二人×二個=四個が、常に並んで動いていく光景ってのはなかなかに見ものだ。さらに、この二人が凄いのは、その下半身。次第に姫達磨みたいに太くなっていく腰の安定感は、他を圧倒する。うん、それは姫達磨なんて可愛いもんじゃなくて、選挙事務所に飾ってある大達磨ぐらいの迫力なのだ。さらに、愛嬌があるのは、顔。選挙の大達磨みたいな厳ついんじゃなくて、恵比寿さんの顔をそのまま丸く切り取ったような、とろんとろんの笑顔。とにかく一度見たら絶対に忘れられない、おっぱいシスターズなのだ。
なぜ、この二人の名前を知ったかというと、とても単純。二人は、お互いを「まゆみちゃん」「ますみちゃん」と呼び合う。そして、エエ歳をしながら自分のことをそれぞれ「まゆみはね」とか「ますみがこの間」という具合に話す。が、それもまた妙に似合う二人なのだ。
露天風呂常連の婆さんたちは、この二人をからかって笑うのが楽しいらしく、すぐに彼女たちの自慢のおっぱいを褒め始める。「あんたらのは、拝みとなるようなおっぱいじゃ」「ほんとぢゃ、ご利益ありそうなのぉ」「国宝の阿弥陀さんみたいなもんぢゃ」
まゆみちゃんはその度に大笑いしながら答える。「おばさんら、いっつも褒めてくれるけどが、このまんまやったら、私ら二人揃うて国宝の持ち腐れやワ〜」。無口だけど、表情の豊かなますみちゃんが、おっぱいを持ち上げるような仕草をすると、婆さんたちは大笑いしながら柏手を打って拝む。この露天風呂のアイドルみたいな二人だったのだ。
そのおっぱいシスターズがいきなり朝風呂に来なくなった時期がいつごろだったのかは明確には思い出せないが、優に季節が一巡りするぐらいの月日は経っていたと思う。
朝一番の露天風呂には、すでに数人の常連客の顔があった。私はいつもどおり、婆さんたちに会釈して、一番熱い浴槽にザブンと身を沈めた。朝の露天風呂が好きなのは、背後の山からなだれてくるような青葉の光りだ。湯船にゆらゆらと映りこむ生まれたての朝の光りは、伸ばした二本の脚にゆらゆらと届く。
いきなり声を上げたのは、おテルちゃんだった。「ありゃ、あんたら、どうしたことぞな!」皆が一斉に振り向いた。ちょうどミストサウナから出てきた人影の前に立ちふさがるように、おテルちゃんがいた。そして、言った。「あんたら、まゆみちゃんとますみちゃんぢゃろ?」
ギョッとした。そこに居た二人は、空気の抜けたキューピー人形みたいだったからだ。あの真正面を向いていたお碗おっぱいの乳頭は前かがみに垂れ、大達磨のごとき下半身は縮み、そのせいか妙に脚がひょろひょろと長くなったようにも見えた。が、じっと見てみれば、たしかに顔はあの恵比須さま。間違いなく、まゆみちゃんとますみちゃんだった。二人は、おテルちゃんに首を縮めるような会釈をし、そそくさと上がっていった。
「どうしたこっちゃろ、あの二人は。あないに急激に痩せるってのは、普通やないな」と、おテルちゃんが私に話しかけてきた。「流行のバナナダイエットでも始めたんですかね。だとすれば、二十キロ以上は落とせてますよね」「びっくりしたなあ、好きな男でも出来たんぢゃろか。けど、あれは痩せすぎぢゃあ。自慢のおっぱいも萎んどったがな」
同じ湯船に入ってきていた、ほうかや婆さんが珍しく口をきいた。「拝むほどのもんやないなっとったのぉ」
その何日後だったか、
徹夜明けの原稿を書き上げてみると、あと十五分ほどで一番湯の時間になるタイミングだった。このまま布団に倒れ込んでもいいのだが、原稿を書き続けていたせいで脳はまだ興奮したまま。いっそ一番湯に入って、湯上がりのビールでも飲んでガッと寝た方がいいだろうと思い立った。
私としては最高に早い入湯時間なのだが、露天風呂にはすでに人影があった。いつものように、まっしぐらに一番熱い湯にザブンと入ってみると、目の前の源泉かけ流しの湯に浸かっているのが、まゆみちゃんとますみちゃんだとわかった。不躾に眺めるのも失礼だとは思いながら、二人の余りの激ヤセぶりに目を引かれてしまって、視線が残ったのだろう。フッと、まゆみちゃんと目があってしまった。眼鏡をかけてない、まゆみちゃんの方だ。
「なんでしょうか?」と問いかけるような目。答えないで無視すると、もっと失礼だと思って、慌てて口を開いた。
「あ・・いえ、ずいぶんお二人とも痩せられてるんで、ごめんなさい、どんなダイエットなさったんだろうと思って、不躾な話でごめんなさい」と謝った。
二人は一瞬顔を見合わせたが、次の瞬間二人の口から「いえ、気にせんとって下さい」という全く同じ台詞が見事にハモって出てきたのに驚いた。驚いたのは、私だけでなくと、彼女たちもお互いに吃驚して、三人揃っての大笑いになってしまった。
「実は、私らが痩せてしもうたのはダイエットやないんですよ」「は?」
先ほどの私たちの笑い声に誘われたように、朝湯の常連客・金壺婆さんが入ってきた。そして、まゆみちゃんとますみちゃんの顔を見るなり、曲がった腰をギシギシと揺すりながら、急いで近づいてきて、こう言った。
「あんたら、難儀なことやったなぁ、不憫なことやったなぁ・・」
なんのことやら理解できない私と、「難儀やな不憫やな」を繰り返す金壺婆さんとを、交互に見つめていた、まゆみちゃんとますみちゃんだったが、やがて私は、源泉掛け流しの湯の淵に腰掛け、彼女たちの身の上話を聞くことになった。
そもそも、まゆみちゃん・ますみちゃん姉妹のお父さんと、金壺婆さんは(ふた従兄弟の嫁ぎ先だったったか何か)遠い親類関係にあたるらしく、その淡い縁のおかげで、彼女たちの身の上に起こった出来事を知っていたのだという。
金壺婆さんが口火を切った。
「この子らがな、行き遅れたまんまなんは、ずっと親のめんどうをみよったけんぞな」「おばさん、そんなはっきり、行かず後家みたいな言い方は止めてやぁ」と、まゆみちゃんが笑った。眼鏡のますみちゃんもクスクス笑った。
彼女たちが揃って結婚しそこねていたのは、彼女たちのお母さんの病気のせいだったらしい。どこの病院に行っても病名すら分からないまま、長い長い自宅での闘病生活を送っていたお母さん。生まれつき足の不自由なお父さん。彼女たちは、高校を出てからこの方、両親を支え続けてきたという。同じ事務職ながら、違う会社で働いていた彼女たちは、この明るい性格だから、縁談話の一つや二つはあったのだそうだが、その度に彼女たちは「自分が嫁に行ってしまったら、今の生活の負担が、まゆみちゃんだけにかかってしまう」「ますみちゃんだけに苦労させることになる」とお互いに気を使い合い、気を使い合っているうちにじわりじわりと婚期が過ぎていったらしい。
「まあ、二人ともそれを言い訳にしてきたってとこもあるんやけどね」と、まゆみちゃんが笑うと、右のほっぺたに笑窪がでた。あれ?と思って、ますみちゃんを見ると、ますみちゃんの左のほっぺたに笑窪があった。双子って面白いなあと思いつつ拝聴していると、金壺婆さん主導の身の上話はだんだん深刻味を増していった。
お母さんの容態が急変し、危篤状態に陥ったのは、去年の初夏。お母さんの病態に心痛を重ねていた彼女たちの身にまず起こったのは、お父さんの事故だった。家に着替えを取りに帰ろうとしていたお父さんのバイクを、左折しようとしたトラックが巻き込んだという。お父さんは、お母さんと同じ病院に救急車で運び込まれたが、翌々日に死亡。そのお父さんを追うように、お母さんも二週間後に亡くなったのだという。
二人の嘆きようは、それは痛々しいものだったが、元来しっかり者のまゆみちゃんが、両親の葬儀を取り仕切り、「姉妹二人、力を合わせて生きていきます」という号泣まじりの挨拶に、参列者はみなもらい泣きしたという。
が、この二人をさらなる困難が襲った。
看病と仕事が続いた日々のせいで、二人ともが同じように「七キロほど痩せた」らしく、まゆみちゃんは同僚や近所の人たちに「あんなにダイエットしても、何の効果もなかったのに、こんなことで痩せられるなんてねぇ」と苦笑まじりに語っていたそうだが、方や、無口なますみちゃんの方に異変が起こった。
少しずつ戻ってくる日常の中、まゆみちゃんはふっくらと体重を取り戻して行くのに、ますみちゃんは恐ろしい勢いでどんどん痩せていった。それと共にモノを食べられない症状が加速度的にひどくなり、ついに入院することになったらしい。
私は、滂沱の冷や汗と共に、息を呑んだ。
「ダイエットやなんて、とんでもないこと聞いて、ほんとにごめんなさい。まさかそんなことやったなんて・・」と謝る私の肩越しには、朝湯の常連メンバーが集まってきていた。「ほうかや、あんたらはそんな目に遭うとったんかや・・」と、ほうかや婆さんがつぶやけば、おテルちゃんはすでに貰い泣きしている。「こがいな弱弱しい体つきになり果ててのぉ・・つらかったのぉ」と金壺婆さんが、目を真っ赤にしたますみちゃんの腕を撫で続けている。
日に日に痩せていくますみちゃん、立ち上がる気力もなくしていたますみちゃん。双子の姉であるまゆみちゃんは、そんな妹の世話をしているうちに、彼女にもまた拒食症の症状が出始めたという。双子とはなんという痛々しい相似形なのだろう。
一応の退院を認められた妹・ますみちゃんは、久しぶりに家に帰ってみて、快活であった姉の沈うつな痩せ具合に愕然としたらしい。「まゆみちゃん、なんで、なんで」と泣きながら詰め寄ったますみちゃんの脳裏に、お葬式の日、喪主を務めたまゆみちゃんの挨拶がふいに蘇ったらしい。
「双子の私たちは、こんなにこんなに人並み以上に大きに育ててもらったのに、目の前にいる父と母はあまりにも小さい亡骸で、二人とも苦労と病気で痩せに痩せて・・けどこの二人がおったおかげで、私ら二人は世に産み出してもらいました。これからは、妹と二人、力を合わして生きていきます。そうせんと、この小さい両親に申し訳が立ちません」
二人の復活劇は、ますみちゃん退院の日から始まったらしい。お互いの体調を見つつ、助け合って、励ましあって、やっと両親の一周忌を終えるところまで辿り着いたそうな。
「病院の先生には、まだまだ太ってエエよ、って言われるんやけど、前ほどは太らんでもエエかな〜って、まゆみちゃんとは話しよるんよね」とますみちゃんが言えば、「けど、国宝級のおっぱいは取り戻したいよね」とまゆみちゃんが笑う。二人を囲んでいる婆さんたちもつられて笑う。
「わしらがあの世に行く前には、阿弥陀さんみたいなお乳をもう一遍拝ましてもらわんといけん」「ほうじゃ、ほうじゃ、成仏できんかったら、あんたらのせいぢゃ」「気張って太ってくれんといけんぞな」
「おばさんら、勝手なことばっかり言うて。こうなったら、ますみちゃん、二人で賽銭とってやろな」と泣き笑いの表情になるまゆみちゃん。眼鏡をとって、青い貸しタオルで涙を拭いているますみちゃん。おっぱいシスターズ復活は、そう遠い日のことではないに違いない。
- 2009.08.06 Thursday
- 平成浮世風呂
- 20:42
- comments(8)
- -
- -
- by 夏井いつき