枕草子はいかが? その3
一昨々々々々々日に続いて・・
「にくきもの」とは激しい憎悪ではなく、不快なもの・いやなもの・しゃくにさわるものというニュアンス。
にくきもの、
いそぐ事あるをりにきて、ながごとするまらうど。(略)
すずりに髪の入りてすられたる。
また、墨の中に、石のきしきしときしみ鳴りたる。
筆頭にあげられているのは「忙しい時にやってきて、長居する客」だが、そこからささやかな「にくきもの」の描写が始まる。
当時の女性の長い髪を思えば、「すずり」に髪が入ったままうっかり摺ってしまう…という状況も容易に想像できるし、かの時代の技術を思えば「墨」の中に小さな「石」が練り込まれていることもあるのだろう。「きしきしきしみ鳴りたる」という描写も清少納言らしい細やかさだ。
しか〜し!
これで終わるような清少納言さまではない。さらに「にくきもの」は続く。
「なでふことなき人」つまり、とりたてていうほどのこともない人が笑顔でしゃべってるのがシャクにさわる。酒のんで騒いでイビキかいて寝る男がシャクにさわる。しのんで逢いにくる男に吠えつく犬がシャクにさわる。眠くて横になってるのに、その顔を蚊が飛びあるくのがシャクにさわる。
清少納言さま怒濤の「にくきもの」は機関銃のごとく続き、さらにこんな話まで・・
わがしる人にてある人の、はやう見し女のことほめいひ出でなどするも、
程へたることなれど、なほにくし。
まして、さしあたりたらんこそおもひやらるれ。
「わがしる人」の「しる」は「頒る」と書くらしい。「私のものである人」つまり恋人、愛人を意味する。
ざっくり訳すとこんな感じ。
自分の恋人が、(自分との恋愛よりも)先に関係した女のことを誉めて口に出すのは、ずっと前のことであっても、やっぱり不快だ。まして、それが目の前の生々しい事実なら、どんなに不快であるか、思いやられる。
ほお〜、
たとえ清少納言さまといえども、こんな経験もあった…のね。
引目・鉤鼻・下ぶくれが美人の三要素であったこの時代、あまり容色には自信がなかったと思われる節もある清少納言さま。女だてらに漢詩の素養もあり、持って生まれた機知でもって宮中の男連中をやり込めたりしてたもんだから、生意気にして高ビーな女だと思われていた清少納言さま。
が、しか〜し!
こんな率直にしてナマナマしい呟きも残しているとは…嗚呼、清少納言さまも切ない嫉妬を語る可愛い女だったのね〜…と、そういう文章で今日のブログを締めくくろうとしたにもかかわらず、最後にこんな一行。
されど、なかなかさしもあらぬなどもありかし。
ストレートに訳せば…
「しかし、場合によってはかえってそうでないこともあるに違いない」
うぐ…。
この鉄壁の最強のウルトラマン級の、可愛げの無さ。
そうです、それでこそ、ワタシたちの清少納言さまですッ!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※本ブログの「枕草子はいかが」シリーズは、岩瀬文庫蔵、柳原紀光筆本を底本とする岩波書店刊『日本古典文学大系』を基本資料としています。
????????????????????????????????????????????????
それにしても、昨日のネタに、皆さんここまで絡んでくださるとは…。
まあ、時折こんなネタも混ぜ込みつつ、
『100年俳句日記』は、のほほんと続いていくのだらう。
今夜は、宇和島・じゃこ天句会の連衆との、恒例夏の打ち上げ会。
年に一回は、句会もせず、ただただ『俳句甲子園』の余韻を楽しみつつ飲む会をすることになっている。
そして、明日は・・『子規365日』出版記念句会ライブ!!
宇和島から明日朝、松山にとんぼ返りの予定。
ご来場のほど、よろしゅーに。
「にくきもの」とは激しい憎悪ではなく、不快なもの・いやなもの・しゃくにさわるものというニュアンス。
にくきもの、
いそぐ事あるをりにきて、ながごとするまらうど。(略)
すずりに髪の入りてすられたる。
また、墨の中に、石のきしきしときしみ鳴りたる。
筆頭にあげられているのは「忙しい時にやってきて、長居する客」だが、そこからささやかな「にくきもの」の描写が始まる。
当時の女性の長い髪を思えば、「すずり」に髪が入ったままうっかり摺ってしまう…という状況も容易に想像できるし、かの時代の技術を思えば「墨」の中に小さな「石」が練り込まれていることもあるのだろう。「きしきしきしみ鳴りたる」という描写も清少納言らしい細やかさだ。
しか〜し!
これで終わるような清少納言さまではない。さらに「にくきもの」は続く。
「なでふことなき人」つまり、とりたてていうほどのこともない人が笑顔でしゃべってるのがシャクにさわる。酒のんで騒いでイビキかいて寝る男がシャクにさわる。しのんで逢いにくる男に吠えつく犬がシャクにさわる。眠くて横になってるのに、その顔を蚊が飛びあるくのがシャクにさわる。
清少納言さま怒濤の「にくきもの」は機関銃のごとく続き、さらにこんな話まで・・
わがしる人にてある人の、はやう見し女のことほめいひ出でなどするも、
程へたることなれど、なほにくし。
まして、さしあたりたらんこそおもひやらるれ。
「わがしる人」の「しる」は「頒る」と書くらしい。「私のものである人」つまり恋人、愛人を意味する。
ざっくり訳すとこんな感じ。
自分の恋人が、(自分との恋愛よりも)先に関係した女のことを誉めて口に出すのは、ずっと前のことであっても、やっぱり不快だ。まして、それが目の前の生々しい事実なら、どんなに不快であるか、思いやられる。
ほお〜、
たとえ清少納言さまといえども、こんな経験もあった…のね。
引目・鉤鼻・下ぶくれが美人の三要素であったこの時代、あまり容色には自信がなかったと思われる節もある清少納言さま。女だてらに漢詩の素養もあり、持って生まれた機知でもって宮中の男連中をやり込めたりしてたもんだから、生意気にして高ビーな女だと思われていた清少納言さま。
が、しか〜し!
こんな率直にしてナマナマしい呟きも残しているとは…嗚呼、清少納言さまも切ない嫉妬を語る可愛い女だったのね〜…と、そういう文章で今日のブログを締めくくろうとしたにもかかわらず、最後にこんな一行。
されど、なかなかさしもあらぬなどもありかし。
ストレートに訳せば…
「しかし、場合によってはかえってそうでないこともあるに違いない」
うぐ…。
この鉄壁の最強のウルトラマン級の、可愛げの無さ。
そうです、それでこそ、ワタシたちの清少納言さまですッ!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※本ブログの「枕草子はいかが」シリーズは、岩瀬文庫蔵、柳原紀光筆本を底本とする岩波書店刊『日本古典文学大系』を基本資料としています。
????????????????????????????????????????????????
それにしても、昨日のネタに、皆さんここまで絡んでくださるとは…。
まあ、時折こんなネタも混ぜ込みつつ、
『100年俳句日記』は、のほほんと続いていくのだらう。
今夜は、宇和島・じゃこ天句会の連衆との、恒例夏の打ち上げ会。
年に一回は、句会もせず、ただただ『俳句甲子園』の余韻を楽しみつつ飲む会をすることになっている。
そして、明日は・・『子規365日』出版記念句会ライブ!!
宇和島から明日朝、松山にとんぼ返りの予定。
ご来場のほど、よろしゅーに。
- 2008.08.29 Friday
- 枕草子はいかが?
- 09:39
- comments(5)
- -
- -
- by 夏井いつき